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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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200304 Ⅰペテロ1:1-12 「変わらないものを見上げて」

Ⅰペテロ1:1-12 「変わらないものを見上げて」

 ペテロの手紙を読みますと、とても厳しい信仰者としての生き方が語られます。信仰者に現実の苦しみに対する忍耐を問うています。私たちはペテロのイメージをもっと楽観的で、もっと単純に思い浮かべることではないでしょうか。ところが、このペテロの手紙からはそのような様子は見られません。慎重で、厳格で、非常に重苦しい印象を受けます。年齢を重ねたということもあるでしょうが、それ以上に、彼が置かれている現状が、彼を変えたと言ってもよいかと思います。
 ローマの大火と呼ばれる事件が起きたのがAD64のことでした。100万人を超える大都市ローマは、建築物の多くが木造で、道幅も狭く、密集していたため瞬く間に火事が広がって行ったと言います。ローマ市14区のうち3分の2にあたる10区に火が燃え広がり、そのうち3区は灰燼に帰し、7区は倒壊した家の残骸をわずかに留める程度だったと言われています。当然、人々はその責任がどこにあるのかと紛糾したのです。そしてその矛先は皇帝ネロに対しても向けられました。ネロはこの大火事の責任を当時ユダヤ教の分派と見なされていたキリスト者に押し付けました。そして、それゆえキリスト者は、ローマ帝国による最初の弾圧を受けることとなって行くのです。
 このペテロの手紙は、ローマの大火が起こる直前のAD63に書かれた手紙だととか、AD64以降の迫害の真っ只中に書かれたと諸説があります。どちらにせよ、この手紙は平和な中で書かれたものではなくて、迫害を意識するようになった、過酷な状況を感じ取る中で書かれた手紙だと言うのです。
 こうした背景を知りますと、ペテロの言葉の重みというものが変わってくるかと思います。ペテロはこの苦難の中で、キリスト者のあるべき姿を語ります。苦難に対して耐え忍ぶべき。悪に倣わず善を行うべき。今の状況に目を向けるのではなくて、天の栄光を見て神に聞き従うべき・・・。とても厳しい教えです。けれど、実はこれを語るペテロ自身がそのような中に置かれていたのです。ローマで起きた迫害は、日本の江戸時代とは異なり、苛烈ではあったけれども局地的なものでした。迫害の中心は小アジアではなくてローマでした。ですから、この手紙は安全なところから迫害の只中にいる同志に向けた、負けるな、頑張れという手紙ではなくて、私たちはこの試練の中で朽ちない恵みを見出しましたから、あなたたちもいずれ来る苦難にあってこれに習ってください。という類の手紙なのです。
 そんなペテロが1:6-7で「そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならないのですが、試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。」と言って、現状の苦しみを再定義しています。目に見える困難は神のご計画の内に別の意味合いを持っているということです。私たちは困難に対してそれが取り去られることを願います。そして取り去られないとき、私たちは現状に絶望しますし解決をもたらしてくれない神に不満を覚えます。けれど、その困難自体に置かれた神の意志には目を向けようとはいたしません。困難が無くなることよりも、その困難の中で変わらないもの、失われないものを確かとすることがより大事です。だからこそペテロは困難を解決するようにではなくて、耐え忍ぶようにと言うのです。迫害が起こり彼らの信仰は大いに振るわれます。信仰を持つことが彼らの日常の不利益になる。けれど彼らは最後まで信仰を持ち続けます。神の栄光を見出した彼らは、この世の価値観には生きていないのです。
 韓国大邱市の異端の教会で新型コロナウィルスが蔓延したという報道を見ました。異端の教会ということもあり、とても複雑な思いですが、これは一歩間違えれば明日の我が身だと思いました。そして多くの日本人が教会に向ける目だと思いました。皇帝ネロはキリスト者をローマの大火のスケープゴートにしました。あらゆる集まりに自粛が求められる日本において、礼拝に集う信仰者の群れは格好の非難の的でしょう。けれど私たちは慌てないようにしたいものです。見えないウィルスにできる限りの対策は取りつつも、やはり見失ってはいけないものがある。このことによって隣りにいる一人を疑い、切り捨てるようであってはいけないし、神を後回しにする言い訳としてはならないのです。移り変わる状況の中で、私たちは変わらないもの、失われない希望に目を留めていきたい。神を礼拝する民であり続けたいと思います。

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