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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝メッセージを要約したものです。

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200318 ゼパニヤ2 「困難を不幸とはせず」

ゼパニヤ2 「困難を不幸とはせず」

 ゼパニヤはヒゼキヤ王の4代目の孫に当たる人物で、ヨシヤ王の時代に活躍した預言者です。ゼパニヤ書の冒頭で偶像礼拝に対するさばきの宣言が記されていることから、ヨシヤ王の宗教改革以前に記されたと考えられています。
 2章の1-3節で、ゼパニヤはユダの民に悔い改めを求めています。この背景に、主の怒りを買ってさばきを宣言されている民の悲惨な現状があるのです。詳しくは1章で記されておりますが、そこには偶像礼拝と神の宮を踏みにじる暴虐と欺きの民の様子が記されます。1章14-18節に記されるさばきの日の様子は実に容赦なく、主の怒りの大きさと、同時に主の徹底した聖さを見ることが出来ます。そしてそれゆえゼパニヤは叫ぶのです。「ともに集まれ、集まれ。恥知らずの国民よ。御定めが行われて、その日が籾殻のように過ぎ去らないうちに。【主】の燃える怒りが、まだあなたがたを襲わないうちに。【主】の怒りの日が、まだあなたがたを襲わないうちに。」
 続けてゼパニヤは諸国への主のさばきについて記します。4節から2章の終わりまでみっちりと。2:10-11には「これは彼らの高慢のためだ。彼らが万軍の【主】の民をそしり、これに向かって高ぶったからだ。【主】への恐れが彼らに下る。主が地のすべての神々を消し去られるからだ。人々はそれぞれ、自分のところで主を礼拝する。異国のすべての島々も。」とあります。国々は滅びます。廃れます。その驕り高ぶりのゆえにです。「驕る平家は久しからず」であります。しかしそれは主の憐れみでもありました。徹底的なさばきの末でなければ、人々は己の欲を捨てて主を恐れることができないからです。人々は廃れ果てた夢の跡でようやく目を覚まし、真の王の前にひれ伏すことを知るのです。
 困難な状況の中で、その不幸を嘆くことは誰にでもできます。誰かの所為にし、状況の所為にし、時代の所為にするということは簡単です。けれど、それでは何も生み出しません。困難を単なる不幸としてしまうだけです。そして不幸は諦めるしかありません。困難の中でどれだけ自分を見つめ直し、神との関係を見つめ直すかが大事です。全てが失われて尚も残るものに心を向けることが大事です。神は無意味に困難を振りかざすことはなさいません。その困難の中に込められた神のみこころに聞くことが大事です。
 3章に入り神のさばきは全世界に及ぶことが語られます。しかし9節からは一変、希望と繁栄のメッセージが語られるのです。神の民の回復。礼拝の回復。ヨシヤ王はヒゼキヤの言葉に真摯に応えたのです。困難を単なる不幸とはしなかった。神に立ち返るその時としたのです。私たちはどうでしょうか。ぼやいていても何も生まれません。迫る困難の中で、私たちは何を選び取るのでしょうか。この困難は私たちのターニングポイントです。困難の中だからこそ、本物が輝くのです。手放した後だからこそ、手にすることができるものがあるのです。私たちは今、霊の目で自らを顧みることが求められているのです。

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