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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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200510 ルカ1:1-4 「私たちの間で成し遂げられた事柄」

ルカ1:1-4 「私たちの間で成し遂げられた事柄」

 ルカの福音書はルカによって書かれた福音書です。著者の記載はありませんが、続編である使徒の働きの中で、パウロの旅に著者が同行するときにだけ「私たち」という代名詞が使われることから、その時のパウロの同行者を割り出していくと、ルカが有力であろうという話です。また、初代教父たちがこぞってこの福音書の著者はルカだと証言しています。彼らはルカと重なる世代です。実際に面識があった者もいたことでしょう。彼らの証言こそ、この著者がルカである証拠です。
 パウロ書簡にはルカの名前が3度出て来ます。どれも手紙の末尾、挨拶の欄に名前が並びます。まずは、ピレモン1:24「私の同労者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカがよろしくと言っています。」次に、コロサイ4:14「愛する医者のルカ、それにデマスが、あなたがたによろしくと言っています。」この2つの書簡は、紀元61年から63年までのローマの獄中で記されたものです。3度目はテモテへの手紙第二です。この手紙が書かれたのは同じ獄中でも先の二つの書簡が書かれた時のシチュエーションとは全く違います。パウロはこの後、皇帝による裁判を受けて釈放されますが、その後、西方(イスパニア)での伝道を行い、その後再び捕らえられて投獄されます。テモテへの手紙第二はその時に書かれたものです。先の獄中は皇帝の裁判を待つための幽閉でした。ローマ法を犯す罪状があるわけでもなく、裁判を受ければ釈放されるという確信がありました。希望がありました。けれど、テモテへの手紙が書かれた状況は違います。そこには、病を経験し、体力の限界を知り、自らの死を受け入れるパウロの弱さを知る姿が記されています。4:10-11には次のようにあります。「デマスは今の世を愛し、私を見捨ててテサロニケに行ってしまいました。また、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマティアに行きました。ルカだけが私とともにいます。マルコを伴って、一緒に来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。」ルカだけが私とともにいます。という言葉に、パウロが如何にルカによって支えられていたかが伝わってきます。それは医者であるルカが側にいてくれるという肉体的安心もあったでしょうが、それ以上に様々な労苦を共にしても尚、側にいてくれるルカの存在がパウロの心を支え続けたのです。
 このことはルカがパウロを通してその信仰と知識を培い、引き継いだということも意味しています。パウロ自身による説教を一番身近に聞き、パウロの側で生前のペテロやマルコ・ヨハネたちとも親交があったことでした。ですからパウロの教えを最も正確に受け継いだのはテモテでもテトスでもなく、このルカだったのではないでしょうか。
 このルカが今、イエス・キリストの福音を記します。テオフィロのために。この人の救いのために。時間を掛け、知恵をしぼり、綿密に調べ上げ、祈りを持ってこの書を記します。言葉一つ、表現一つにルカの心遣いが浮かび上がってくるのです。
 4節に「すでにお受けになった教えが確かであることを、あなたによく分かっていただきたいと思います。」とありますから、この手紙を受け取ったテオフィロという人物は、すでにこの教えを耳にしていることがわかります。けれど、まだ確信に至っていない。そこでルカはテオフィロに何を伝えれば良いか、考えた末に、イエス様その人を伝えようと筆を執るのです。テオフィロはまだ信仰の確信にまで至っていません。なぜなら彼が受けたのは、パウロに代表される救いについての教理的な教えでした。彼はまだイエス様を知らずにいたのです。救いの枠組みは知っています。メカニズムは理解できます。けれど、救いそのものであるところのイエス様を知らなかった。だから確信できないのです。たくさんの料理本を見て味を想像するけれども、実物を食べたことがないので本当のところがわからないというようなものです。パウロの伝えたのはキリスト教だったのではありません。教えはあくまでも救いの理解を助ける道具です。パウロはイエス様を伝えた。そのことは使徒の働きを見れば一目瞭然です。パウロの数々の手紙だけを読めば、パウロ教とも言われかねない教理の数々。けれど、パウロの教えの中心にあるのはやはりイエス様なのです。
 「私たちの間で成し遂げられた事柄について」とあります。「私たちの間で」という言葉にルカの告白があります。先ほども言いましたように、ルカはイエス様と直接会ったことはありません。ルカはイエス様のことを伝え聞いただけです。けれど彼の内に救いは成し遂げられたのです。ですから、この「私たち」には現代に生きる私たちも含まれています。これから記されるところは、ルカの内に成し遂げられ、私たちの間でも成し遂げられた救いの出来事なのです。
 ハイデルベルク信仰問答を1年間学びまして、私たちは救いの枠組みを知ったことかと思います。聖書を読み解く物差しを持ちました。けれど、救いはそこにはありません。救いはイエス・キリストその人です。私たちはこれよりルカの福音書を共に学びながら、今一度、救いそのものであられるイエス様を知り、イエス様と出会う経験をいたしましょう。

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