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埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝メッセージを要約したものです。

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200610 ルカ6:20-26 「分け合うことの幸い」

200610 ルカ6:20-26 「分け合うことの幸い」

 20~49節までのイエス様による「平地の説教」と呼ばれています。多くの部分でマタイの福音書に記された「山上の説教」と共通点がありますが、相違部分もあります。やれ、ルカの創作だとか、写本上のミスだとか、そういうことではなくて、イエス様は様々な場所で、似ているけれど違う説教をなさった、当時は原稿などをもって説教をするわけではありませんから、その聴衆を見て語られたと考えるのが素直な読み方でありましょう。
 今日の箇所でマタイの福音書と違う部分は24~26節に、20~23節の裏返した教えを記している点です。貧しい人たちは幸いです。とあり、一方で、富んでいるあなたがたは哀れです。とあります。また、今飢えている人たちは幸いです。とあり、一方で、満腹しているあなたがたは哀れです。とあります。さらには、人々があなたがたを憎む時、あなたがたは幸いです。とあり、人々がみな、あなたがたをほめるとき、あなた方は哀れだというのです。20節と24節、21節と25節という具合に、それぞれの対になる慰めと警告が語られているというのが「平地の説教」の特徴です。
 しかし、この説教の内容を聞くときに、そうだ!その通りだ!とはなかなか言い辛くはないでしょうか。この世の価値観はそうではないからです。貧しいよりも、富んでいるほうが幸いであり、飢えているよりも、満腹している方が幸いです。人に憎まれるよりも、褒められる方がよっぽど幸せです。これはもう私たちの経験からくる常識です。それを、真逆に言うのは、いささか、無理があると言いましょうか、強がりの言い訳のようにも聞こえます。
 けれど、本当にそうでしょうか。私はこのところを読むたびに、思い出す言葉があります。それはマザー・テレサの言葉です。彼女が来日したときにこう言いました。「けさ、私は、この豊かな美しい国で孤独な人を見ました。この豊かな国の大きな心の貧困を見ました。」また次のようにも言いました。「私は、短い間しか日本に滞在しないので手を貸してあげるのは、せんえつだと思い、何もしませんでしたが、もし、女の人が路上に倒たおれていたらその場で、語りかけたり、助けていたと思います。豊かそうに見えるこの日本で、心の飢えはないでしょうか。だれからも必要とされず、だれからも愛されていないという心の貧しさ。物質的な貧しさに比べ、心の貧しさは深刻です。心の貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりも、もっともっと貧しいことだと思います。日本のみなさん、豊かさの中で貧しさを忘れないでください。」
 富んでいる人は哀れです。と言います。満腹している人、称賛される人は哀れだと言います。なぜでしょうか。そういう人は、富んでいることが幸せだと信じて疑わない人だからです。満腹し、人々から称賛されることが幸せだと堅く信じています。つまり、富まなければ幸せではないと信じ切っている人だということです。満腹するまで食べないと満足できないし、称賛が得られないと不幸だと考えるのです。だから、富んでいること、満腹すること、称賛を受けることに執着します。それらを失わないためには何だってする。たとえ他人が蹴落としてでもそれにしがみつこうとする。たとえすぐ隣に倒れている人がいても、自分の目的のために見て見ぬ振りをして、先を急ごうとするのです。
 日本は本当に豊かで秩序立った国です。世界中の人々が日本という国を羨んでいます。けれど日本人の多くは自分が幸せだとは感じていません。日本よりももっともっと貧しい国の人々の方が幸せを実感しています。幸せの尺度が違うからです。私たちは、何かを手に入れ、何かに満たされることが幸せだと考えてはいないでしょうか。欲しかったものがようやく手に入る。それゆえ幸せになれる。と、こう考えがちではないでしょうか。けれど違います。何かを手に入れることが幸せだと考えるなら、手に入れた瞬間、別のものに目が移ります。たとえこの世の全てを手に入れようとも、限りあるこの身に足りなさを感じるでしょう。本当の幸せは何かを手にしたときに得られるのではありません。何かを分かち合うときに得られるのです。だから富んでいるあなたがたは哀れなのです。捨てて余るほどに満ちている世界で、私たちは分かち合うことを忘れてきました。助け合うこと、支え合うことを二の次にしてきました。だからどれだけ物に満ちても、心が満たされない。一方、貧しさ中では分かち合うしかありません。1本のパンを分け合うしかない。生きるためには助け合うしか無い。けれどだからこそ、その者たちは幸せなのです。誰かを必要とし、誰からから必要とされる。分かち合うことで、私たちは今ここにある意味を見出すからです。私たちの中にある貧しさや欠けは、私たちの不幸ではありません。私たちが支え合うための余白です。私たちは貧しさのゆえに誰かを必要とし、誰かを感謝し、そして誰かに愛されるのです。
 最後にもう一つマザー・テレサの言葉を紹介しましょう。「アフリカの国々が滅びるとしたら貧困が原因だろうが、日本は心が原因で滅びるでしょう。日本人はインドのことよりも日本の国内の心の貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります。誰からも必要とされていない貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりももっとひどい貧しさと言えます。豊かな日本に心の貧しい人がたくさんいる。それに気づくことさえできない人もいる。愛はまず家庭から始まります。まず家庭の中から不幸な人を救いなさい。夫婦が愛し合い、母親が家庭の中心となりなさい。自分の家庭が愛に満たされなければ隣人を愛することはできません。」

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