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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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200607 ルカ1:26-38 「私は主のはしためです」

ルカ1:26-38 「私は主のはしためです」

 小さなナザレの町で、婚約者ヨセフとの結婚を夢見ていたマリアは、御使いからの突然の懐妊の知らせにひどく戸惑います。それは神の栄光を帯びた御使いの登場という物理的な驚きもさることながら、それ以上に御使いの知らせがもたらすことの影響の大きさに恐れおののいたことでした。
 御使いの知らせは単なる懐妊の知らせではありませんでした。あなたはみごもって、男の子を産む。その子はすぐれた者となる。いと高き方の子と呼ばれる。ダビデの王位が与えられ、とこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることはない。矢継ぎ早のその知らせは、つまり、救い主の懐妊を告げているのです。特に、「あなたはみごもって男の子を産みます。」というガブリエルの言葉。この言葉の意味を理解するなら、マリアの恐れはいったい如何ほどだったかと気の毒になります。
 当時、婚約というのはこれから結婚しますという遠い日の約束ではなくて、むしろ結婚そのものと言っても良い契約関係でした。律法では、婚約中の女が不義を働いた場合、はずかしめた男だけでなく、その女も同様に石打にされることが定められています。婚約とは、それほど相手に対して責任を負うということです。ですから、ガブリエルのお告げの通り、子を身籠るとすれば、それは、おいそれと、めでたいと受け止められるような知らせではありません。
 神のご栄光を帯びた御使いの語るところですから、それは事実なのでしょう。それはマリアも否定できないこととして理解したでしょう。きっと私は身ごもることになる。けれどそれは決して喜ばしい知らせではありません。これからどんどんとお腹が大きくなっていけば、小さな町だから、それは人の目には隠せない。ヨセフが知れば何と思うことだろう。裏切られたと心痛めるだろうか。婚約を解消されるだろうか。姦淫したと訴えられても文句はいえないな。それでもヨセフは優しい人だから、もしかしたら許してくれるかも。けれど、日に日に大きくなるお腹を、彼はどんな思いで見なければならないんだろうな。惨めかな。悔しさかな。いやヨセフだけじゃない。両親はどう思うだろう。近所の人々は何と噂するだろう。もう人前に出ることはできなくなるかもしれないな。それどころか、町にいられなくなるかもしれない。いや、殺されてしまうかもしれない。
 ガブリエルの告知は、確かに素晴らしい告知です。それはユダヤ人の宿願です。けれどマリアにとっては、彼女の夢に描いた未来を、そして当たり前の日常を無残にも打ち壊すものなのです。
 どのようにそれが起こるのでしょう。マリアの質問にガブリエルは、それは聖霊の力によると言います。そして神にとって不可能なことは一つもないと言うのです。そして、主には不可能なことがないという証拠として与えられたしるしが、不妊の女エリサベツの胎の実でありました。エリサベツはマリアの叔母にあたります。ずっと子が産めなかったエリサベツは、きっと幼いマリアを実の子のようにかわいがっていたことでしょう。ですから不妊の女性の悲しみを幼いマリアも身近に見ていたことでしょう。そのエリサベツに子が与えられたと言うのです。もしそうだとしたら、それは何と素晴らしいことでしょう。エリサベツの身に起きた奇跡をマリアは心から喜べます。神のなさることは全て時にかなって美しい。それは間違いなく主なさることに違いありません。そしてそのような奇跡が成し得るのなら、私に告げられたこの出来事も、お言葉通りになるに違いない。マリアはエリサベツの出来事を聞いて、この御使いの言うとおり、ただ主を信じて受け入れる決心をしたのです。
 マリアはひざまずいて答えます。38節「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」マリアは積み重なる不安を神に委ねたのです。神がなさるならそれはなる。エリサベツに起きた奇跡のゆえに、神の全能に身を委ねることができたのです。
 そしてこれが大事です。ガブリエルはマリアに、神さまのご計画を理解するように。わかるように。と問うているのではありません。受け入れなさい。と言っているのです。認めなさい。とです。神様のなさることは私たちには想像も及びません。わからないから不安です。けれど、それは何も私たちにとって否定的な意味ばかりではありません。それはむしろ、私たちの思いを遥かに超えて神さまが最善をなしてくださるということを意味しています。私たちは全てを知る必要はありません。知るべきは一つです。神にとっては不可能なことは一つもないのです。

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