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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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2015/05/24 使徒2:1-13 「聖霊に満たされ」 ペンテコステ礼拝

使徒2:1-13「聖霊に満たされ」

 もともとは収穫感謝を祝う日だったペンテコステの日、この日いったい何が起きたのでしょうか。今日の箇所を読みますと、3つのことが起きています。①弟子たちが御霊に満たされたこと。②弟子たちが他国のことばで話しだしたこと。③弟子たちによって福音が語られたことです。
 最も派手なのは①の出来事でしょうか。突然、天から激しい風が吹いてくるような響きが起こり、家全体に響き渡ったとあります。また、炎のような舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまったともあります。人々にとっては②の出来事も驚きです。昨日まで自分たちと何ら変わらない弟子たちが突然に外国語を話すようになったのです。しかし、実は③の出来事こそが、教会にとって最も意味ある出来事であると理解すべきです。
 この箇所を読んで、ペンテコステの出来事はあくまでも初代教会に起きた過去の出来事だと言う人たちがいます。キリストの贖罪と同じように、一回きりの出来事だとです。しかし、使徒11章にあるペテロの報告によると、ペンテコステの日に起きた聖霊が下る出来事(聖霊によるバプテスマ)が、コルネリオとその家族にも起きたと言います。つまり、聖霊が下られるのは、過去に一度ペンテコステに起きた特別の出来事ではないということ。そして、「いのちに至る悔い改めをお与えになる」とあるように、聖霊が人々を悔い改めに導かれたということです。つまり、そもそもが聖霊なくして私たちは誰も神に立ち返ることはできず、私たちが罪を悔い、真の神を求めるのは、聖霊が内住している証なのです。確かに私たちはペンテコステの時のような炎のような舌を見てはいないかもしれません。しかし、それは聖霊が目撃される必要があったので、神がそうされたということです。もし、私たちに必要ならば、神はそうされたでしょう。何が言いたいかと言いますと、つまり、私たちは奇跡的な聖霊体験が無くとも、ペンテコステの出来事を体験しているということです。私たちが心からの悔い改めに導かれたということこそが、すでに聖霊が内住する確かな証拠なのです。
 また、ある人たちは、弟子たちが他国の言葉を話しだしたのを異言だとし、聖霊のバプテスマは異言の賜物を伴うと強調します。だから、異言が与えられていない人は、まだ聖霊のバプテスマを受けていないのだとです。けれど、聖霊の内住がなければ、そもそも悔い改めに導かれることはありません。ですから、聖霊のバプテスマは全ての信仰者がすでに受けているものです。その上で、もしも異言が与えられたというならば、それは、聖霊によって与えられる預言や奉仕などと同じ、賜物の一つと考えるべきなのです。そして賜物ですから、当然、人それぞれ。異言の賜物だけが特出して聖霊のしるしと数えられることは極めて不自然です。そもそも弟子たちの言葉は異言ではなく、他国の言葉でした。ユダヤ人にとっては理解できない言葉でも、そこに集まった他国人には意味のある言葉でした。だから人々は驚いたのです。
 教会がペンテコステを大切にするのは、この日が福音宣教の始まりの日だからです。そして、この福音宣教は聖霊によって導かれたということです。聖霊によって真の回心に導かれたキリスト者が、内なる聖霊によって語る言葉が与えられ、そして、人々に福音を届ける。これがペンテコステの日に起きた全容です。そしてこのことは、今なお繰り返される聖霊の働きなのです。聖霊の働きと聞くと、私たちは炎の舌や異言と言ったわかりやすい奇跡を期待します。しかし違います。聖霊は私たちの内にこそ働くのです。

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