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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝メッセージを要約したものです。

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200614 ルカ1:46-56 「幸いな者と呼ぶでしょう」

200614 ルカ1:46-56 「幸いな者と呼ぶでしょう」

 マリアは言います。「ご覧ください。今から後、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう。」そしてその理由を「力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです。」と述べています。力ある方が私に大きなことをしてくださったから、人々は私を幸いな者と呼ぶでしょう、とです。大きなこと。つまり、救い主の母とされたとか、処女降誕を成し遂げるとか、神の尊い器とされるだとか、そういう大きな事をしてくださったっから、人々は私を幸いな者と呼ぶと言うのです。そして私が生むその方は、権力のある者を王位から引き降ろし、低い者を高く引き上げる方であり、飢えた者と富む者を逆転させ、あわれみをいつまでも忘れること無く、そのしもべイスラエルを助けてくださる方である。そのお方のお名前はいつまでも尊く、そのお方のあわれみは代々主を恐れる者たちにまで及ぶ。だからこのお方の偉大さのゆえに、後の人々は私を幸せ者と呼ぶでしょう、と告白するのです。
 そして事実、後の世の人々は主イエスを知れば知るほどに、その母マリアの恵みを数えます。この偉大な奇跡の器として用いられたマリアを称えます。救い主の母となったマリアを、後の時代の人々は聖母マリアと呼びまして、神格化していくのです。1962~1965年に行われた第2バチカン会議の『教会憲章』では、「神の恵みにより、キリストの諸神秘に関わった聖なる母として全ての天使と人間の上に高められたマリアが、特別な崇敬をもって教会から讃えられる事は当然である。」と記されています。驚くべきことにマリアには、天使と人間の上の地位が宛がわれているのです。歴史上の誰もが彼女より幸せな者は他にはいないと言ったことでした。そしてそれはある意味で事実なのです。マリアが素晴らしいのではありません。素晴らしいのはマリアの宿した神の御子です。これは全く持ってその通りです。マリアが特別信仰深かったとか、美しかったとか、資産家だったとか、努力家だったとか、そういうことではありません。御子の誕生に用いられたという一点で、マリアは他の誰とも違う特別の評価を後世から受けることとなったのです。
 けれどです。それは人々の評価です。当の彼女が聖母と呼ばれることを期待したとはとても思えません。マリアは何を幸せと思ったか。それは「主はこの卑しいはしために、目を留めてくださったからです。」と、この一点にあるのです。彼女は、自分の身に宿ったいのちが特別の神の御子だったから神に喜んだのではなくて、神が目を留めてくださった。卑しいはしために過ぎないこんな私に、神は関心を寄せてくださった。だから彼女は自らを幸せ者と告白しているのです。
 私たちも同じではないでしょうか。マリアが喜び、私たちが心から望むのは、肩書きを外した私を認めてもらうことではないでしょうか。世の中はいつも私たちの肩書きを求めます。私たちは多くの場面で、様々な仮面を被って生きることを強要されます。相手にとって価値のある私。そうでなければ、誰も私に見向きもしてくれない。だから必死に自分を装うのです。けれど、そこには本当の意味での信頼関係はありません。そこにあるのは条件付きの関係です。あなたが私の役に立つなら友達でいてあげますよ。あなたが私にとって得なら私はあなたを愛しますよ。けれど、そういった関係に私たちは決して満足することはできません。それは私でなくても構わない関係です。私が期待に応えられなくなれば立ちどころに消えてしまう関係です。それでも、そこにすがるのは、一人になると余計に惨めに感じるからです。ですから、私たちはその偽りの関係を失わないために、必死になって笑顔を作ります。まるで涙を隠して笑いおどけるピエロような人生を送り続けるのです。けれど、そのような毎日に疲れないはずはありません。装うほどに、自分自身が自分を許せなくなってきます。偽りの自分が嫌になります。私たちは素顔の自分を受け入れてほしいと願いつつも、仮面を付けずにはいられない自己矛盾の塊なのです。
 ナザレの片田舎で、マリアという少女に目を留めていた人がフィアンセのヨセフの他にいったい何人いたでしょう。どこにでもいるような少女のマリア。けれど主はそんな彼女に目を留められた。全世界の造り主なる方が目を留められる。この恵みは決してマリアだけのものではありません。それは私たちにも向けられています。主はご覧になっておられます。主はこんなはしために過ぎない私にも目を留めてくださるお方なのです。このお方と出会うなら、皆さまもまた幸せ者です。聖母マリアの得た祝福は私たちのものでもあるのです。

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