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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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200712 ルカ2:8-20 「失われた人に照る光」

200712 ルカ2:8-20 「失われた人に照る光」

 救い主であるイエス様が貧しい家畜小屋でお生まれになり、飼葉桶に寝かされたことは、偶然が重なりあった結果のように見えて、実は全て主のご計画であったと前回確認いたしました。イエス様には、どのような所でお生まれになることができました。母マリアがもっともリラックスして出産できる我が家を選ぶこともできましたし、誰もがその誕生に平伏すように王宮の特別な一室でお生まれになることもできました。けれど、あらゆる可能性の中で、イエス様は飼葉桶に寝かされることを選ばれた。そこには、確かにイエス様の意思があり、目的があります。イエス様の誕生はそのような貧しさの中でなければならなかった。その理由が、実は今日の箇所を読むとよくわかります。なぜならイエス様の誕生で最初に駆けつけたのは、他でもない羊飼いたちだったからです。
 当時の羊飼いは人々から阻害されていた職業でした。家畜を追って野宿し、たまにしか町に来ない彼らの存在は、多くの人には野蛮人と映り避けられておりました。その証拠に、国中が大騒ぎとなる住民登録に彼らは加わっていません。彼らは相も変わらず、野宿をして羊の番をしています。つまり彼らは住民として数えられなかったのです。彼らは社会から、人々の中から失われた者として扱われました。彼らの人生にスポットライトは当たりませんでした。だからこそ家畜小屋でなければならなかった。だからこそ飼葉桶でなければならなかった。もしもイエス様が立派な宿屋でお生まれになっていたらどうでしょう。扉のかかった屋内でお生まれになっていたらどうでしょう。羊飼いたちは門前払いをされて終いでしょう。けれど、イエス様は貧しい家畜小屋にお生まれになった。だから羊飼いたちはイエス様にお会いすることができた。救い主の誕生に出くわすことができたのです。
 これら一切は、決して偶然ではありません。全てが主のご計画なのです。
 イエス様がベツレヘムの家畜小屋でお生まれになった日の晩、ベツレヘムの郊外で、野宿で羊の夜番をしていた羊飼いの下に、御使いが現れて言いました。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」「あなたがた」とは誰のことでしょうか。「この民全体に与えられる、大きな喜び」とありますから、それは神の民イスラエルだと言われるでしょうか。もっと大きな視点に立って、この世界の全ての人を指して、「あなたがた」なんだと言われるでしょうか。確かに神の救いのご計画は、イスラエルであり、全世界でしょう。けれど、やっぱりここでは「あなたがた」とは「羊飼いたち」を意味しているのです。彼ら羊飼いを指して、イスラエルや全人類の代表とするのは、いささか無理があります。彼らは代表どころか、神の民イスラエルから爪はじきにされていた人々。世界からもはみ出された人々だからです。むしろ彼らが代表するのは数に数えられない者。陽の当たらない、日陰の者たち。けれど、そのような者たちに向けて、主は「あなたがたのためのしるし」と語られるのです。
 ですから主イエスの誕生の知らせが、誰よりも先に羊飼いのもとにあったことは、主イエスが貧しい者と共にあるということを意味しているのです。富んでいる者ではなく、貧しい者。喜んでいる者ではなく、悲しんでいる者。賞賛を浴びている者ではなくて、人知れず失われている者。後にイエス様は「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ19:10)と言われましたが、まさしく、イエス様はその誕生の時より、失われた人と共におられる方だったのです。
 これは、私たちにとっても朗報です。Good Newsです。イエス様が貧しさの中にお生まれになって下さったから、その光は私たちの貧しさにも届くのです。神の前に何一つ後ろめたさを持たない者はいないでしょう。叩けば埃が出る私たちでありましょう。けれどイエス様はご自分を無にして、仕える者の姿を取って、人間となられました。クリスマスの恵みは主が貧しい家畜小屋の飼い葉桶に寝かされたということに顕著に表れています。主が低きに降られた。主が貧しさに寄り添われた。これこそが本当の恵みなのです。

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