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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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200719 ルカ2:21-35 「非力な赤ん坊の中に」

200719 ルカ2:21-35 「非力な赤ん坊の中に」

 25節に「そのとき」とあります。どのときかと言いますと、21節で割礼を施されたイエス様が22節。きよめの期間が満ちて、ヨセフとマリアが神殿に生贄を捧げに来た「そのとき」です。そこに一人の老人が近寄って参りまして、興奮しながら、赤ん坊のイエス様を抱きかかえたのでした。この老人をシメオンと言いました。「聖霊が彼の上におられた。」とあります。聖霊の導きにより、シメオンは赤ん坊のイエス様と出会うのです。シメオンはイエス様を抱かせてもらい、いよいよ神を褒め讃えます。「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。あなたが万民の前に備えられた救いを。異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光を。」
 シメオンは正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいました。それは言い換えると彼が「イスラエルは今悲しみのうちにあって、慰められなければならない」んだと考えていたということです。だから救い主を待ち望んでいたのです。では、イスラエルのどのような現状を嘆いていたと言うのでしょう。
 多くのユダヤ人は、国家としてのユダヤの現状に嘆いておりました。というのも、当時のユダヤは度重なる列強からの支配を受け続けていたからです。一時、ユダ・マカバイ率いるユダヤ人の軍勢がセレウコス朝シリアからの独立を果たしたことがありました。人々は彼こそが預言された救世主と称え、ユダヤにハスモン朝を開きます。けれど彼の死後、権力闘争は絶えず、ローマによる干渉も受けてハスモン朝は衰退。ローマの後押しを受けたイドマヤ人ヘロデがユダヤの王位を簒奪するのです。ヘロデはローマの傀儡政権でした。彼が王になることで、ユダヤの独立国家は実質上、再び崩壊しました。ですから、民衆は再び救い主を求めるのです。ユダ・マカバイに変わる新しい救い主の到来。ダビデに約束された永遠の王国を樹立する英雄。次に来る本命の救い主にユダヤの永遠の独立を願い求めたのです。
 けれどシメオンは違っていました。シメオンが見た救いはユダヤの独立ではありません。シメオンは両親を祝福し母マリアに言います。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がったりするために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。それは多くの人の心のうちの思いが、あらわになるためです。」救い主であるイエス様を通して、イスラエルの人々はまず倒れそして立ち上がる。このことは反対にあうしるしとして、永遠から定められていると、こう言います。しかもシメオンはこれを祝福して言います。「おめでとう。あなたたちに祝福があるように」と言うのと同時に「ほら、この子は人々を躓かせるために来たんですよ。反対を引き起こすために生まれて来たんですよ」そして、「この子の存在は、あなたの心さえも痛め、苦しめることになるでしょうよ」とこんな風に言うのです。これでは祝福というよりも、むしろ呪いのようです。けれど、もちろんこれは呪いではありません。彼は大まじめにつまずきの子が生まれて感謝と言っています。
 「しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。」イザヤ書53章5節の御言葉は当時、光が当たらなかった預言です。当然です。彼らにとって救い主とは、力強く、正義に溢れ、誰からも後ろ指さされない、そういう人物のことだからです。けれどシメオンは全く違う救い主を見ています。彼は赤ん坊のイエス様に犠牲となられる贖いの御業を見ているのです。自分たちのそむきの罪のために刺し通され、自分たちの咎のために砕かれる救い主の姿を見ているのです。
 第1コリント1:18には「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。」とあります。私が思い描く救いではありません。もしも私が思い描く救いを求めるのなら、か弱い赤ん坊に救いを見出すことはできません。神の救いを遮るのはいつも私たちの一方的な願望です。そうではなくて、私たちはイエス様が語られるところに聞き、神が導かれるままを受け取る者でありたいと思います。混沌の世の中で、絶望せず、パニックにならず、神の救いを見い出す者でありたいと思います。

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