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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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200830 ルカ3:18-20 「世を正す預言者」

200830 ルカ3:18-20 「世を正す預言者」

 ヨハネは領主ヘロデの姦淫の罪を非難します。当然です。彼は「罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマ」を説く者だからです。世の不正を暴いて悔い改めさせる。これが預言者ヨハネの使命です。特に為政者の不義はその人物だけに留まらず、その国の不義に繋がります。その国の指導者こそが、イコール、その国の方針となるのです。ですから、ヨハネは相手が領主であろうと態度を変えません。彼はヘロデの罪を鋭く非難します。ヨハネから言わせれば、たとえ領主であろうとも、それは悔い改めるべき一人の罪人に過ぎないのです。しかしヘロデはヨハネを捕らえて牢に閉じ込めてしまいます。ルカの福音書ではこのところはサラっと書いていますが、マルコの福音書には実際にヨハネを恨み憎んでいたのは妻ヘロディアであったとあります。ヘロデはヨハネの正しさを知っており、彼を恐れて保護していました。そして時々、投獄されたヨハネの下に足を運んでは、その教えを喜んで聞いていたと言うのです。
 牢に捕えながら、話を聞きに行く。ヘロデのこの矛盾した態度の裏には、自らの罪に対する後ろめたさがあるのです。ヘロデの姦淫の罪は領地の誰もが知るところ。けれど、知っているはずなのに誰も口にしません。それは誰もヘロデに対して本心を語らないということです。目の前にいるこいつは私に従う振りをしながら、内心では馬鹿にしているに違いない。この者の忠誠心は、私ではなくて領主という肩書に向けられているだけに違いない。誰も本音を語らない状況に、ヘロデの妄想は膨れるばかりです。皆が腹の中では自分を蔑んでいると思うと、もはや誰の言葉も信用できません。ですからヘロデは、ヨハネの非難の言葉に恐れつつも安堵するのです。憎みつつも惹かれるのです。なぜなら、ヨハネの言葉には嘘が無いからです。ヨハネの言葉は信用ができる。だからと言って、ヨハネを野放しにしておくことはできません。彼の非難の声は、間違いなく自分の地位を脅かすものです。彼から領主の地位を奪えば、もはやヘロデに従う者などおりません。結果、ヘロデはヨハネを投獄しつつ、その投獄した牢に足を運ぶと言う矛盾した行動に至るのです。
 さて預言者ヨハネに、この結末は予想できなかったのでしょうか。時の権力者に歯向かえば、ただではいられない。そんなことは誰もがわかっていたはずです。だから誰もが忖度をした。罪を見て見ぬ振りをした。無視することで保身を図ったのです。けれどヨハネは、ただ一人ヘロデの罪を非難します。なぜなら彼は地上の権力者ではなくて、全能の神に仕える者だったからです。彼はヘロデの機嫌を取ることよりも、自らの身を守ることよりも、神の前に滅びる魂を立ち返らせることにこそ使命があったからです。
 先に言いましたが、特にヘロデの罪を名指しで糾弾するのは、彼が為政者だったからです。ヘロデの姿は国の鏡だからです。ヘロデの罪は、多くの人々の罪を覆い隠すからです。領主だってやってるんだから。と、人々が言い訳の材料にするからです。祈祷会では今、第2列王記をご一緒に読んでおりまして、前回はユダヤ全土の偶像を一掃したヨシヤ王のことを学びました。良くも悪くも、王という個人の信仰がその国の信仰を左右いたします。ですから、預言者は為政者を無視しません。国の滅びを放ってはおきません。彼らに寄り添い、彼らを正し、真の神に立ち返るように、神の国に相応しくあるために、繰り返し繰り返し叫び続けるのです。
 こんなことを言いますと、宗教は政治に口を出してはいけないと言われる方もおられると思います。確かに政治の中枢に宗教が居座った結果、悲惨な歴史が数しれずあります。日本もそれを経験しています。ですから、宗教と政治は距離を置くべきとはわからなくありません。けれど、それと信仰者が政治のために、国のために罪を糾弾することは全く別の話です。
 ヨハネ以外に誰がヘロデの罪を指摘できたでしょう。誰がヘロデの悔い改めを願ったことでしょう。みんな保身だけを考えていたのです。忖度していたのです。それは仕方ないのです。地上のみを見ている人は、その権力に従うしかありません。しかし私たちは天に目を向ける者です。私たちもまた、地上の権力者ではなくて、全能の神に仕える者です。現代の預言者です。ですから地上の一切を恐れることなく、滅びる魂に悔い改めと救いを叫び続けるのです。

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