FC2ブログ
プロフィール

Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
検索フォーム
リンク
QRコード
QR

200902 ルカ20:20-26 「あなたに刻まれた名」

200902 ルカ20:20-26 「あなたに刻まれた名」

 当時、ユダヤはローマの直轄地となっていました。ヘロデ・アケラオが失脚し、ローマからはユダヤ総督が送られて治安が維持されておりました。ですから当然、税金はローマに納められるわけです。しかし、律法に照らせば、全ては神の支配の下にあり、全ての物は神から来るところです。富もまたそうです。ならば納めるなら神の宮にと言うべきです。けれど、それはローマの支配に表立って逆らうこととなります。イエス様はローマの支配に楯突く不穏分子として捕らえられてしまうでしょう。一方でローマに、と言えば、神の支配を訴えない指導者に、民の心は離れていくことでしょう。どちらを選びましてもイエス様の非を訴えることができる、そういう意地悪な質問を彼らはいたします。
 イエス様は彼らの悪だくみを見抜いて言われます。「デナリ銀貨をわたしに見せなさい。だれの肖像と銘がありますか。」デナリ銀貨には表に「皇帝ティベリウス・神と崇められた皇帝アウグステゥスの子」と刻まれておりまして、ローマの税金を納めるときにはこのデナリ銀貨を使うことが決められておりました。一方で、神殿に献げるときにはこのデナリ銀貨は用いることはできません。それは偶像礼拝に当たるからです。それぞれのコインはその用途が明確に分けられておりました。
 ここで注目すべきは、イエス様が「デナリ銀貨をわたしに見せなさい。」と言われた点です。取って来なさい。と言っているのではないのです。その場で、あなたが懐に持っているそのデナリ銀貨を見せて見なさい。という意味です。つまり、誰もがデナリ銀貨を持っているのです。不思議です。神殿に仕える者は、基本的に神殿に献げられたものから頂いているのではないでしょうか。そして神殿に献げられるものにデナリ銀貨は含まれていないのではなかったでしょうか。では、なぜ彼らはデナリ銀貨を持っているのでしょう。つまりは、彼らもまたローマに税金を納めていたわけです。彼らもローマの支配を当然のように受け入れ、折り合いを付けていた。にも拘わらず、イエス様にあなたは神と皇帝とどちらの支配に従うのか。と問うているのです。イエス様は「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」と答えました。結局それがカエサルのものか、神のものかを決めるのはその人自身にかかっているのです。
 カエサルの名が刻まれているものはカエサルに返せばいいのです。けれど、神の名が刻まれているものは、神に返さなければなりません。では、ここで考えなければなりません。私たち自身には誰の名が刻まれているかということです。カエサルの名が刻まれていると言う人は流石にいないでしょうが、日本と言う名、会社という名を刻んでいる人はいるかもしれません。自分の名を刻んでいる人は多くいることでしょう。けれど、ユダヤ人は、そしてキリスト者はそれ以前に神の名が刻まれた者では無かったでしょうか。
 イザヤ43:1 「だが今、【主】はこう言われる。ヤコブよ、あなたを創造した方、イスラエルよ、あなたを形造った方が。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。」「あなたを形造った方が」「あなたはわたしのもの」と言われます。ならば、この身を神に返すのは当然のことではないでしょうか。神に仕えることは当然のことではないでしょうか。祭司長たちは悪巧みで質問したことでした。けれど、その質問は大変深い問題を含んでいます。神に仕えるか、カエサルに仕えるか。天に仕えるか、地に仕えるか。それは私にはどんな名前が刻まれているかによって決まります。
 そして、神の名が刻まれている者に主は言われます。イザヤ43:2-4「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。川を渡るときも、あなたは押し流されず、火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしはあなたの神、【主】、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。わたしはエジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だから、わたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする。恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。」神の名が刻まれることを、面倒と思われるでしょうか。けれど、その名こそ、神が私たちを憐れんでおられる証拠です。私たちを愛し、喜び、共にいて下さる証拠です。だからこそ、私たちは神の名が刻まれていることに感謝し、この身を神に返すことに平安を見出していきたいと思うのです。

コメント

非公開コメント