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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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200920 ルカ4:1-13 「悪魔の試み」

ルカ4:1-13 「悪魔の試み」

 日本語で、ふと悪い考えを起こしたり、普段では考えられないような出来心を起こすことを「魔が差す」と言いますが、悪魔というのはいつも心に忍び寄る機会を覗っているのです。で、それはどういう時に忍び寄るのかと言うと、極度の疲れを覚えていたり、何かを成し遂げてほっとした瞬間であったりするわけです。まさしくこの時のイエス様がそうでした。悪魔はイエス様の断食の祈りの様子をずっと伺っていました。けれど一向に付け入るスキがない。40日経って、イエス様の祈りが終わって、イエス様は空腹を覚えられて、ようやくそのチャンスが生まれたのです。
 「あなたが神の子なら、この石に、パンになるように命じなさい。」ジャン・バルジャンはただ一つのパンを盗んだ罪で投獄させられ、その後の人生を狂わせましたが、極度に空腹を覚えれば人は誰でも目の前のものに飛びつく者です。ましてや、イエス様には実際に石をパンにする力があります。自分のためにその神の力を使えばいい。これが悪魔の誘惑です。けれど、それはイエス様の使命を真っ向から否定することです。イエス様は自分を犠牲にして、人の贖いとなるために来られたのです。十字架にかかられたイエス様に向かって、かけられた言葉は「神殿を壊して三日で建てる人よ、もしおまえが神の子なら自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」(マタイ27:40)でした。もちろんイエス様がその気なら十字架から降りることは簡単です。けれど、それは神の使命に沿う選択ではないのです。悪魔がわざわざ40日も機会を覗ったのは、とにかく公生涯に入る前に、イエス様を堕落させておきたかったからです。イエス様はその手に乗りません。「『人はパンだけで生きるのではない。』」と屹然と断るイエス様でした。
 「もしあなたが私の前にひれ伏すなら、すべてがあなたのものとなる。」すべてがあなたのものとなる。具体的には、このような国々の権力と栄光をすべてです。「権力を手に入れる為なら、悪魔にでも魂を売ってやる。」というのがこの世界の価値観です。この誘惑を抑えきれない人は少なくはないでしょう。しかしイエス様という方は、そもそも神の子として、この世界を統べ治められるお方ではなかったでしょうか。むしろイエス様はその栄光を捨てて、人となられたのではなかったでしょうか。悪魔は大きな餌をぶら下げて、イエス様の使命を否定させようとしています。けれど、イエス様の答えは明快です。「『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい。』と書いてある。」
 「あなたが神の子なら、ここから下に身を投げなさい。」なぜなら、神は信じる者を御使いに命じて守られると書いてあるでしょ。これまでイエス様が聖書の引用から誘惑を退けてきたのを皮肉るように、悪魔は詩篇91篇の御言葉を用いて説得しています。けれど、その御言葉の解釈は果たして正しいでしょうか。様々な疫病や恐怖の中で、それでも主を避け所とし、いと高き方を頼って過ごすその者に言われたのが、この91篇11-12節の言葉です。信頼に対する主の守り。ところがその主の守りを試すということは、信頼とは真逆の行為です。イエス様は「『あなたの神である主を試みてはならない。』と言われている。」と申命記6:16の御言葉を引用して退けられました。
 以上がイエス様と悪魔とのやりとりの全容ですが、今日の箇所で覚えて置きたいことは、悪魔の試みがあるという事実です。私たちは世にあって、なぜ神はこのような試練を負わせるのかと、嘆くことがあるかもしれません。けれど試みは神が用意するものもあれば、悪魔が用意するものもある。これは紛れもない事実なのです。私たちはそれを見極めなければなりません。それが神から来るのなら、私たちは耐え忍ぶ必要があります。けれどそれが悪魔から来るのなら、私たちは拒絶しなければなりません。対応が違うのです。そして見分ける術は御言葉によってのみであります。
 大事なのは御言葉を蓄えておくということです。ささやく声を聞いてから、御言葉を開いているようでは遅すぎるのです。悪魔は狡猾です。時には神のことばすらも用います。都合よく削ったり、付け加えたりしながら、それらしく語ってまいります。目に見える損得をぶら下げて、この世の価値観に訴えて、甘い甘い誘惑を用意します。アダムとエバが神のことばを正しく蓄えていたのなら、蛇のことばが微妙に神のことばをすり替えていることに気付けたはずです。ですから、私たちはその時になってから御言葉に聞くのではなくて、常日頃からでなければなりません。悪魔がイエス様に試みるために40日間待たざるを得なかったということに注目しましょう。祈りの中で、悪魔が主イエスに付け入る隙は無かったのです。それはつまり御言葉に聞き、祈りを献げ、讃美に満ちる日常で、悪魔は手出しできなくなるということです。神との正しい関係を、神の御言葉によって築き上げるとき、私たちは悪魔を恐れる必要はありません。恵みが恐れをはじき出すのです。

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