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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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201025 ルカ4:42-44 「ほかの町々にも」

ルカ4:42-44 「ほかの町々にも」

 安息日にイエス様はカペナウムの会堂で話され、日が暮れてからは、駆けつけた大勢の病人に手を置いて癒されます。けれど夜が明けて朝になりますと話は一転します。イエス様は一人寂しいところに出て行かれるのです。この朝も人々は押し寄せたと思うのです。カペナウムの町は会堂での教えと病が癒された人々の噂で持ちきりでした。カペナウムの人々は興奮してこの夜を過ごしました。ですから安息日が明けるのを待って多くの人がイエス様のもとに駆けつけたように、夜が明けるのを待って皆がイエス様のもとに駆け付けることは誰もが予想できたことです。にも関わらず、イエス様は寂しいところに出て行かれたのです。イエス様はたとえご自身を必要とする人々から離れてでも、一人になる時間を大事になさるのです。
 クリスチャンである私たちは、祈りの時間が大事だと言うことはとてもよく知っています。けれど知ってはいるけれど、なかなかその時間が持てない。なかなかその余裕がない。だからこそです。大事なのは、その慌ただしい日常から離れること。敢えて寂しいところに出ていくということではないでしょうか。テスト勉強がしたいなら図書館に行くべきです。テレビがあって、おもちゃがあって、手を伸ばせば漫画の本がずらりと並んでいる部屋で、勉強をするというのは簡単なことではありません。ならばいっそのこと、そういう誘惑からは離れたほうが良いのです。信仰においても同じです。人々に関わることは大事です。奉仕も、仕事も、どれも大事。けれど、それら一切は神との交わりを抜きにしてはあり得ません。どれだけ大切に思えることも、必要なことも、それが神を後回しにさせるとすれば、私たちは思い切ってそれらから離れる必要があるのです。
 イエス様は人々を置いて、一人寂しいところに出て行かれました。人々に関わることはイエス様の使命です。地上に来られたイエス様の責任です。けれどだからこそです。イエス様はそこから離れる時間を大事にされました。イエス様は救い主である前に神の子だからです。私たちも同じです。日本人である前に、社会人である前に、親であり子であり、夫であり妻である前に、私たちは神に造られたひとりの人間であり、主イエスの贖いの恵みにあずかったひとりのキリスト者です。私たちはあらゆる肩書と責任と関係を置いて主の前にひとりひざまずくとき、初めて本当の自分を取り戻すことができるのです。そして信仰生活とはまさにここから始めるべきなのです。
 さて、イエス様がいないことを知った群衆は、イエス様を血眼になって探します。そしてイエス様を見つけると、「自分たちから離れて行かないように、引き止めておこうと」いたしました。彼らはイエス様の教えに感動し、イエス様の奇跡に驚きました。彼らは確かにイエス様が只者ではないことを悟りました。だからこそ、イエス様にカペナウムに留まって欲しいと思いました。けれど、それはイエス様という方を何も理解していません。
 イエス様は言われます。「ほかの町々にも、神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。」注目すべきは、イエス様は人々を癒すために来たのでは無いということです。福音を宣べ伝えるために来たのです。人々はイエス様に奇跡という利益を求めます。けれど、奇跡はあくまでも神の国の福音を信じるための手段なのです。福音を信じることができるなら、目に見える奇跡はもう必要ないのです。今、カペナウムの町では驚くべき癒やしの奇跡がなされ、人々はイエス様が只ならぬお方であることを悟りました。そして、その御方が会堂で語られた教えが話題となって広まっていきました。人々が福音を受け入れる土壌が出来ています。ならば、イエス様はそこに留まる理由はありません。福音を語るべき地はまだまだあるのです。そもそもの話、イエス様が宣教の使命を置いて留まるお方なら、イエス様はカペナウムには来ていません。イエス様は留まらないからこそ、カペナウムに来られたのです。そのイエス様をカペナウムに留めようとすることは、本末転倒です。それはイエス様の御心をまるで理解していません。
 イエス様と離れたくない。彼らのその思いはある意味で当然です。けれど、そのためにイエス様を引き留めることは、イエス様の御心には適いません。もし私たちがイエス様と離れたくないと思うなら、イエス様を私のもとに引き留めるのではなくて、私たちもまた神の使命に生きればいいのです。私たちがその使命をイエス様と共有する時、私たちはイエス様と共にあるのです。

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