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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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201104 エレミヤ34 「侮るなかれ」

エレミヤ34 「侮るなかれ」

 エレミヤから告げられる主のお告げはユダの滅びとゼデキヤの捕囚でした。もしゼデキヤがそれに従うなら、安らかな死が約束されるとです。しかしゼデキヤはそれを良しとはいたしません。何とかこの自体を打開したいゼデキヤは、エジプトを頼りとしてバビロンに逆らい、その決断は完全に裏目となるのです。バビロン軍の進軍によってユダヤの地は刈り取られ、エルサレムの他に残るはわずかラキシュとアゼカの2つの都市のみとなりました。
 窮地に陥ったゼデキヤは神のご機嫌を取るためか、突然の奴隷解放を発布します。もともと同胞のヘブル人の奴隷を解放することは、7年置きに行われるように律法で定められていた掟です。ところがそれがないがしろにされてきました。ゼデキヤはここに注目します。主の掟を守り、尚且、解放奴隷の機嫌を取ることで兵士に組み入れる一石二鳥を考えたのでしょう。そして、それは確かに主の目に叶ったことでありました。
 ところが、救援のエジプト軍が近づいたことにより、一時バビロンによる包囲が解かれたのです。バビロンは総出でエジプト軍に対峙する必要があったからです。緊張と緩和。それに加えて、自分の判断が成功したことによる油断。ゼデキヤはこの一時的な解放に浮かれて、直ちに奴隷解放の勅令を撤廃するのです。もちろん貴族たちからの突き上げもあったのでしょう。もともと本気でなかったのかもしれません。しかし、エジプト軍はバビロンによって破れ、援軍がユダヤに到着することは遂に無かったのです。
 バビロンを主の器とすることは、予てより宣言されておりました。ゼデキヤ本人にもエレミヤを通じて語られたことでした。それに従うなら安らかな死が約束されておりました。にも関わらず、主の御声に逆らいあれこれと画策するゼデキヤ。付け焼き刃で表面的な判断は愚かとしか言いようがありません。挙げ句、機嫌を取るべく行った奴隷解放を、熱さが喉元を過ぎれば立ちどころに撤回するのですから、浅はか以上の何者でもありません。結果、主は剣とききんの解放を宣言されます。二つに断ち切られた子牛の間を通った者のようにする。とは、もともと契約を結ぶときに、そのような儀式を持ったのです。この契約を破るなら、この子牛のようにされても構わない。尊い命を犠牲として結ばれた契約は、やはり命を持って全うしなければならないのです。主は今この契約を行使します。彼の浅はかな行為は結局、ユダヤの滅びを確定させたに過ぎなかったのです。
 状況が切迫しているとき、主の前に遜ることはあるいは難しくないかも知れません。あらゆる手段が尽きて、他に頼るものが無くなって、私たちはようやく主に祈ることができます。けれど、問題は状況が好転すれば、すぐにその祈りを止めてしまうことです。神は私たちをご自身に立ち返らせるために試練を与えられるのです。神は私たちの信仰の応答を求めておられます。決してポーズだけを求めているのではありません。むしろ、問われているのは、試練の先。私たちの日常の中にあるのではないでしょうか。神を侮ってはいけません。自らの決断を裏切ってはいけません。罪が赦されていることに日々感謝し、恵みの応答に生きましょう。

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