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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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2015/08/30 マルコ5:18-20 「生ける神を証しする」

マルコ5:18-20 「生ける神を証しする」

 伝道は、一人ひとりのキリスト者の使命です。私たちは熱心さをもって人々に語ります。それは強要されてでなく、見返りを求めてでもなく、内側から湧き出てくる衝動によってです。この隣人を放っては置けない。私たちはそういった使命感を持って、神とは。罪とは。救いとは何かと、熱心に語り続けるのであります。
 けれどです。今日ご一緒に考えたいことは、それは果たして、多くの人々が本当に聞きたいことなのかということです?どうでもいいとは言いません。むしろそれはとても大切です。神、罪、救い。聖書が教えるこれらことを順を追って理解する時、私たちは救いの確信を得ることが出来ます。ですから求道する人々には救いの根拠と救いに至る過程をきちんと教えなければなりません。しかしです。それはあくまでも信仰に興味を持ち、どうすれば救われるのかと問い続ける求道者に対してであって、それ以前の人々。多くの神を知らない人たちの関心とは違うように思うのです。と言いますのも、この日本では神々があまりにも溢れかえっていて、ゴルフの神様だとか、笑いの神様だとか、他人よりもちょっと優れた人を見ると、すぐに神様と言って称えるような社会におりますと、見えない神に救いを求めるだとか、信頼して生きるだとか、そういった信仰を持つこと自体が、とても不確かなことだからです。自分以外の何かに信頼して依存して生きるということは危ない。のめり込んではいけない。そういう思いがある。最初から興味と警戒心をもっている。これが大多数の人たちの本心だと思うのです。
 そもそもの神観が違うのです。多くの人にとって神は数多くいる、限界ある存在に過ぎません。困ったときにだけ頼る、頼っても気休め程度にしかならない。そのように割りきって付き合うべき存在です。ですから、そういう神観の人たちに対して、まず最初に伝えるべきは、救いの云々ではありません。まず伝えるべきは、聖書の神が生きて働かれる神であること。信頼に値する神であることを伝えなければならないのです。
 ではどうすれば、生きて働かれる神を伝えることが出来るのでしょう。今日の箇所でイエス様は言いました。「あなたの家、あなたの家族のところに帰り、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい。」つまり、あなたの人生に働かれた神様の臨在を証しなさい。ということです。主が私にしてくださったことですから、私たちの救いの証しはもちろんですけれども、それだけではありません。日々の信仰生活が私たちの証しです。それは決して人に誇れるものではないかもしれません。沢山の失敗や過ちを繰り返して、そこには情けない自身の姿があるかもしれません。しかし、それで良いのです。多くの人は私たちの成功談を聞きたいのではありません。私たちが失敗し、試練に会い、苦しみ、悩む中を、どのように主に励まされて立ち上がったのか、乗り越えていったのか、そういう弱さの中に働かれる神を聞きたいのです。私たちの信じる神が、今も生きて、信仰者を導いておられることの証言を求めているのです。
 ですから、大事なことは、全てのことにおいて恵みを数えるということでしょう。私たちは余裕が無い時、その現状の中で恵みを数えることができなくなってしまうかもしれません。ボヤキばかりが口に出るかもしれません。しかし、私たちは生きて働かれる神が今日も共におられるという事実に目を留めるべきです。この現状を通して、語られ、導かれる神の声に耳を傾けるべきです。私という視点から、神様の視点に。この今という時を捉え直すとき、私たちはそこに確かな神様のご計画を見るのです。神は無駄なことはなさいません。意味のないことを与えられることはありません。その経験が、神を証しし、隣人に寄り添う糧となっていく。神の証とされていくということではないでしょうか。

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