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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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201223 ルカ2:1-21 「クリスマスの恵み」

ルカ2:1-21 「クリスマスの恵み」

 イザヤ53:2には「彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。」とあります。救い主であるイエス様がベツレヘムの貧しい家畜小屋でお生まれになり、飼葉桶に寝かされたことは、偶然が重なりあった結果のように見えて、実は全て主のご計画でありました。イエス様はどのような所でお生まれになることができました。母マリアがリラックスして出産できる我が家を選ぶこともできましたし、誰もがその誕生に平伏すように王宮の特別な一室でお生まれになることもできました。けれど、あらゆる可能性の中で、イエス様は飼葉桶に寝かされることを選ばれました。そこには、確かにイエス様の意思があり、目的があります。イエス様の誕生はそのような貧しさの中でなければならなかったのです。
 当時の羊飼いは人々から阻害されていた職業でした。羊飼いに対する私たちのイメージはとても牧歌的かもしれません。大きな家畜小屋に羊を住まわせ、日中は羊を連れて野原を駆け巡り、夜は小屋に帰って来て、搾り取った乳でチーズなどをこしらえる。アルプスの少女ハイジのおんじのようなイメージです。けれど、当時のイスラエルでの羊飼いは全く違います。彼らは土まみれ、汗まみれになりながら、何か月も山の中に点在する放牧地を転々と渡り歩くのです。夜は石で即席の囲いを作り、その中に羊を入れて、自分はその入り口に陣取って、野宿をいたします。彼らは決して優男ではありません。筋骨隆々、髪も髭も伸び放題。獣臭を体に染み込ませ、しかも神殿礼拝を守らない彼らの存在は、多くの人には罪人であり野蛮人と映り避けられておりました。その証拠に国中が大騒ぎとなる住民登録に彼らは加わっていません。彼らは相も変わらず野宿をして羊の番をしています。つまり彼らは住民として数えられなかったのです。彼らは社会から、人々の中から避けられ、失われた者とて扱われました。彼らの人生にスポットライトは当たりませんでした。だからこそイエス様の誕生は家畜小屋でなければならなかった。だからこそ飼葉桶でなければならなかった。なぜなら、それ以外の場所でイエス様が生まれていたら、羊飼いたちは到底、救い主のもとには来れなかったからです。イエス様が立派な宿屋でお生まれになっていたらどうでしょう。扉のかかった屋内でお生まれになっていたらどうでしょう。羊飼いたちは門前払いをされて終りです。けれど、イエス様は貧しい家畜小屋にお生まれになった。だから羊飼いたちはイエス様にお会いすることができた。救い主の誕生に出くわすことができたのです。
 しかしこのことは偶然ではありません。イエス様誕生の最初の目撃者として、彼ら羊飼いが選ばれたということは、主のご計画に他なりません。
 イエス様がベツレヘムの家畜小屋でお生まれになった日の晩、ベツレヘムの郊外で、野宿で羊の夜番をしていた羊飼いの下に、御使いが現れて言いました。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」「あなたがた」とは誰のことでしょうか。「この民全体に与えられる、大きな喜び」とありますから、それは神の民イスラエルだと言われるでしょうか。もっと大きな視点に立って、この世界の全ての人を指して、「あなたがた」なんだと言われるでしょうか。確かに神の救いのご計画は、イスラエルであり、全世界でしょう。けれど、やっぱりここでは「あなたがた」とは「羊飼いたち」を意味しているのです。彼ら羊飼いを、イスラエルや全人類の代表とするのは、いささか無理があります。彼らは代表どころか、神の民イスラエルから爪はじきにされていた人々だからです。むしろ彼らが代表しているのは数に数えられない者。陽の当たらない者たち。そのような者たちに向けて、主は「あなたがたのためのしるし」と語られるのです。
 ですから主イエスの誕生の知らせが、誰よりも先に羊飼いのもとにあったことは、主イエスが貧しい者と共にあるということを意味しているのです。富んでいる者ではなく、貧しい者。喜んでいる者ではなく、悲しんでいる者。賞賛を浴びている者ではなくて、人知れず失われている者。後にイエス様は「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ19:10)と言われましたが、まさしく、イエス様はその誕生の時より、失われた人と共におられる方だったのです。

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