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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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210103 ピリピ4:10-13  「そこにある恵み」

210103 ピリピ4:10-13  「そこにある恵み」

 ソロモンはⅠ列王記8:37-39で「この地に飢饉が起こり、疫病や立ち枯れや黒穂病、いなごやその若虫が発生したときでも、敵がこの地の町々を攻め囲んだときでも、どのようなわざわい、どのような病気であっても、」と言っています。今はまさにソロモンの祈りが適用されたかのような状況ですね。私たちは中世のペストやコレラに匹敵するような歴史的疫病に襲われています。そのような状況を想定して、ソロモンは何というのか。「だれでもあなたの民イスラエルが、それぞれ自分の心の痛みを知って、この宮に向かって両手を伸べ広げて祈るなら、どのような祈り、どのような願いであっても、あなたご自身が、御座が据えられた場所である天で聞いて、赦し、また、かなえてください。」であります。ソロモンは今まさに、この災いの中で、宮に向かって祈れと言っています。
 このコロナの状況の中で例えば国の対応に文句を言う人は沢山いらっしゃるでしょう。また自衛のために色々と知恵を巡らせる方も多いでしょう。けれど、この困難の中で、神の前に自身の信仰を問いただす人はほとんどおりません。けれど信仰者にとっては、やっぱりそこが大事だとソロモンは言うのです。耐えて耐えて過ごせば、やがてはワクチンが行き届いて、コロナウィルスの拡大は収まるのかもしれません。けれど、仮に私たちがその時を無事に迎えることができたとして、私たちはああ収まって良かったということだけで、この出来事を総括して良いものでしょうか。この出来事を通して語られる主のみこころを探り求めることはしないでしょうか。少なくとも私にとって、あの試練には意味があった。そう思えることが大事ではないでしょうか。
 年間聖句はピリピ書から選ばせてもらいました。どんなことでもできるというのは、事実ではありません。獄中にいるパウロにできることは制限されています。けれど、彼の心は何ら制限されません。不自由な生活の中でも、彼の心は自由で感謝に満ち足りています。なぜなら、主なる神が彼を強くしてくださるからです。ソロモンの祈りをパウロは実践いたします。不自由さの中で、彼は自らを省み主に立ち返ります。すると、そこには貧しさの中で助けてくださる主がおられるのです。もちろん富んでいるときに用いてくださる主がおられます。病の時にこそ励ましてくださる主がおられます。その境遇でなければ知れることのない主の取り扱いがそこには確かにあるのです。
 ローマの獄中にあって、パウロは思うままに旅することも、出かけていくこともできません。けれどパウロは獄中に置かれているからこその恵みに気付きます。それはピリピの人々との交わりの確かさです。14節には「それにしても、あなたがたは、よく私と苦難を分け合ってくれました。」とあります。パウロの苦難に、身を翻して去っていく人がいます。石を投げ、罵声を浴びせる者もおります。しかし一方で、寄り添い、駆け付けてくれるピリピの兄弟たちがいたのです。もちろん、これまでもピリピ教会とパウロとは親しい関係にありました。けれど今、この獄中にあって、ピリピ教会の人々の存在がこれまで以上に大きな支えであることにパウロは気付くのです。こういうのは忙しく活躍しているときには見落としがちです。その時その時に一生懸命で、がむしゃらに前に進んでいるときには、案外感謝が抜け落ちたりします。自分の手柄にしてしまいがちです。実は私たちは困難の中で、立ち止まる中で、そこにある恵みに気付くのです。これはパウロの例です。もちろん、私たち一人一人に恵みがあり、感謝があります。
 入院中のS姉妹の近況を時々お聞きします。術後の回復のために治療を続けておられます。痛みがあるとも聞いています。けれど、姉妹の近況の最後はいつも神への感謝で終わるのです。これまでの人生の中で、一番神様と身近に過ごせていると感謝されています。私はこれは単なる強がりではないと思います。姉妹は本当に感謝しているのです。姉妹はそこに無いものではなくて、そこにある恵みを見ているからです。姉妹の信仰は、私たちに信じることの確かさを知らしめてくれています。パウロの言葉の真実を告げてくれています。
 私たちは困難の中で、どのように信仰を保つべきでしょうか。それは私を強くしてくださる方と共にいるということに尽きます。では、どうすれば共にいられるのでしょうか。どこかに行けばいいのでしょうか。刺激のある新しいことを始めれば良いでしょうか。いえ、その困難の中にも、主は共にいてくださっています。コロナ禍にあって、私たちのできることは制限されています。長い自粛生活に嫌気がさして、神様に愚痴の一つ、文句の一つもつきたくなるところです。けれどです。困難の中で私たちは主に愚痴るわけですが、では順調なときなら、十分に主に感謝していたのでしょうか。困った時だけのという例のあれではないでしょうか。困難の中にも、順調の中にも、主は共にいてくださるお方です。ですから、今こそ知れる恵みはやはりあるのです。戦火の中でも生まれてくる命があります。焼け落ちたその跡に残される切り株があります。苦難が私に向けられた恵みの全てを打ち消すのではありません。苦難ばかりに目を奪われて、私たちが見ていないだけです。主と共にあることの幸いは、その時々の主の御声に聞き従うことにあるのです。

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