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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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210207 ルカ6:20-26 「幸いか、哀れか」

ルカ6:20-26 「幸いか、哀れか」

 今日の箇所はイエス様が弟子たちに向けて4つの幸いと4つの哀れを語られる場面です。4つの幸いと4つの哀れ。4つの幸いとは、貧しい人たち。今飢えている人たち。今泣いている人たち。そして人の子のゆえに排除され、ののしられ、けなされ、憎まれるあなたがた弟子たちのことだとイエス様は数え上げます。逆に富んでいる人。今満腹している人。今笑っている人。今人々の称賛を受けている人は哀れだと言っています。困難の内にいる人は幸いで、幸せそうにしている人が哀れとおっしゃられる。これはいったいどういうことでしょうか。
 普通に考えまして、貧しさが幸いとはとてもじゃないですが言えません。そんなことが言えるのは、本当の貧しさを知らない満たされた人です。貧しさが犯罪を生み、戦争を引き起こすのが現実なのです。飢えている人にやがて満ち足りると言ったところで、今日の飢えが満たされなければやがてはありません。もちろん、イエス様はそんなことはわかっています。ですからイエス様はご自身を頼りに集まった人々に救いの手を差し伸べられます。病を癒し、悪霊を追い出されます。けれど、そのことと幸いであるということはまた別の話なのです。
 今満たされているということは果たして幸いの条件でしょうか。この時の今とは、この世界でと言う意味です。私たちは今を願います。今、満たされること。今、癒されること。今、笑っていられること。けれど、それらは移り行くものです。もちろん、それらを追いかけることは悪いことではありません。今、困難な人が救いを求めるのは何らおかしなことではありません。病に苦しむ者が癒しを願うのは当たり前の話です。けれど、それが幸せの基準となってはいけないのです。今、イエス様のそばに群がる多くの人々は苦しみの中、今の救いを求めてやってきた人たちです。この病気が治るように。この汚れた霊から癒されるように。イエス様はその願いに応えられます。けれど、じゃあ、イエス様によって癒しを得た人々の全てが幸いと言えるのでしょうか。病気が治り、汚れた霊が追い出されます。けれど、その人はやがてまた病気になることでしょうし、再び汚れた霊に憑かれるかもしれない。癒されることと幸いであるということは必ずしも一致しないのです。
 そもそもの話、この話をイエス様は誰に向かって話しているのかと言えば、それは他でもない弟子たちにしているのです。そのことに気付いて読み返してみますと、イエス様が「貧しい人たち」「今飢えている人たち」「今泣いている人たち」と呼ばれるその「人たち」とは、文字通りを意味しているのではなく、「人の子のゆえに排除され、ののしられ、悪しざまにけなされる」人たち。つまり、イエス様を信じたことで、貧しくもなり、飢えもする人たちのことを指しているということがわかります。弟子たちはその職業を捨てて、これまでの生活を捨てて、イエス様に付き従います。それは先の見えない生活。安定しない生活。そして、これまでの価値観の中では決して理解されない生活です。イエス様につき従うとは十字架の道を従うということなのです。人は異質な者を排除しようとします。自分とは違う存在を否定したくなります。イエス様を知り、イエス様を信じて生きるということは、その他の人々から分けられて神の民として生きるということです。それだけで私たちは世から排除される対象となり得るのです。けれど、イエス様はその道を歩むことは幸いなんだと語られます。なぜなら、「神の国はあなたがたのものだから」とおっしゃられるのです。
 ある時、イエス様は12年間長血を患った女性を癒されました。いえ、女性が人知れずイエス様の衣に触って癒されたのです。彼女は人目に触れたくなかったのです。病のゆえにこれまで散々に辛い思いをしてきたのです。触られるだけでも病を癒すことのできるお方が、彼女の存在に気付かないはずがありません。けれど、イエス様は「わたしにさわったのは、だれですか」と尋ねられました。わざわざ人前に晒すようなことをされなくとも良いのにと思います。けれどそうではないのです。今、彼女とイエス様の関係は医者と患者のそれでしかありません。彼女は病気が治ったことに感謝しています。けれど、それで終われば、またいずれ別の病気に罹った時、絶望しなければなりません。今満足しようとも、やがて失われる時が来る。だからイエス様は声をかけられます。彼女が信仰をもって、それに応え、真の救いを得るためにです。
 今を求めることは大切ですが、今が満たされれば幸せになれるとは幻想です。今は移り変わるのです。私たちが求めるべきは永遠です。たとえ、今泣いていようとも、私たちは必ず笑う時が来ます。イエス様は十字架で死に勝利されました。「神の国はあなたがたのものだからです。」この幸いに立って、私について来なさい。とイエス様は語っておられるのです。

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