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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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2015/09/13 ヨハネ3:1-8 「悔い改めと新生の恵み」

ヨハネ3:1-8「悔い改めと新生の恵み」

 「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行なうことができません。」ニコデモのこの言葉にはイエス様の御業に対する尊敬やへりくだりと共に、自分自身の限界を知った絶望感のようなものを感じます。『私にはできません。私にはわかりません。けれどあなたはご存じです。』という叫びです。
 誰よりも聖書に通じ、律法を遵守した彼。地位と名誉を手にいれ、人びとの尊敬をほしいままにした彼。人びとに罪ある生活を訴え、清めと従順を奨め、御言葉を教えながら、しかし彼は自分自身を見た時に、そこには解決のない、言いようのない不安を抱えていたのではないでしょうか。どれだけ聖書を調べようとも、どれだけ律法を守ろうとも、消えない不安。罪責感。彼にはいっこうに命ある生活に至る、真理を獲得することができなかったのではないでしょうか。ですから、今ここに、彼ほどの人物が、その自尊心を捨てイエス様に教えを請うているのです。彼の気持ちはよくわかるところです。私たちも同じです。私たちもまた何をやっても埋まらない空しさを感じるところではないでしょうか。これで幸せになれると信じて頑張ってきたことにどれほど裏切られたことでしょうか。
 イエス様は、そんなニコデモの心の中の渇きを知って、答えられたのでありました。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」つまり、あなたは今のままでは神の国を見ることはできないよと言われたのです。この「新しく」という言葉ですが、これは新約聖書の他の箇所では「再び・もう一度」という意味ともう一つ「上から」という意味で使われている言葉です。ですからニコデモは「もう一度、生まれ直す」と思ったわけです。けれど、イエス様のおっしゃった意味は、むしろ「上から生まれなければ、神の国を見ることはできない」ということでした。理解できないニコデモに対し、イエス様はもう一度言い直されます。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」イエス様はここで「新しく生まれる」ということを、「水と御霊によって生まれる」と言い直されます。「新しく生まれる」とは、肉体的に「もう一度母の体から生まれること」でも、「来世において生まれ変わること」でもなく、「水と御霊によって」と言うのです。「水」とは水のバプテスマのことです。それは悔い改めを意味していました。しかし、それだけではありません。「御霊」によって。上からの霊によって新しく変えられなければならないと言うのです。神の国や永遠のいのちというものは、私たちがどれだけ戒めを守ったかとか、どれだけ評判を得たかとか、どれだけ努力をしたとか、そういった延長線上では決して辿り着きません。大事なのは、悔い改めること。そして新しく生まれ変わることです。
 悔い改めるとは、何か私たちの行為のように思うかもしれません。しかし、そうではありません。それは自分の中には一片の救いも無いと認めること。これまで自分の握りしめていたあらゆるものを手放すことです。何かをするではなく、諦めることです。私たちが手放す時、私たちは御霊を受けるのです。古いぶどう酒を捨てなければ、新しいぶどう酒を革袋に満たすことは出来ません。自分自身の肉なる思いに絶望し、悔いるときに、私たちがその古い人に死ぬ時に、私たちは御霊によって新しく造りかえられるのです。
しかしです。私たちは自分自身を見る時に、本当に新しくなったのかと疑問に思うことが多々あるのではないでしょうか。ちっとも変わってないじゃないかとです。けれど、違うのです。たとえ私たちは目に見えて何も変わらないとしても、決定的に変わったことがあります。それは、私たちの身分と生き方です。バプテスマを境に、私たちは御霊によって神の国の住人とされます。これを新生と言います。そして、神の国民とされた私たちは、できるできないに関わらず、神に向いて生きる者とされます。これを聖化と言います。バプテスマは確かに私たちに2つの救いをもたらすのです。
 これらの変化は完全に上からの賜物です。それは私たちが勝ち取った救いではありません。神がキリストのゆえに選ばれたのです。御霊のゆえにもたらされたのです。そして、だからこそ、私たちはこの救いに確信を持つことが出来るのです。

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