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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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210214 ルカ6:27-36 「汝の敵を愛せよ」

ルカ6:27-36 「汝の敵を愛せよ」

 今日の箇所は前回に続いて、イエス様が弟子たちに語っておられる場面です。その教えを一言で言いますと「汝の敵を愛せよ。」大変有名なイエス様の教えです。隣人を愛せ。という教えならば、これまでもありました。(レビ19:18)けれど、敵を愛せとは聞いたことがありません。敵とはどういう人のことでしょう。それは、勝敗と利害が直結している相手のことを敵と言います。ですから敵に情けをかけることなどできません。情けをかければやられてしまうのは自分だからです。マタイの福音書では、敵を愛せという勧めの前に、イエス様は「『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。」と当時の人々の常識を語っています。敵は憎むべき存在です。なぜなら敵を憎むというのは、隣人を守る行為でもあるからです。安易に敵に容赦をかければ、それは味方に迷惑がかかるのです。今以上に戦いというものを身近に知っていた当時の人々にとってこれは常識です。けれどイエス様は「あなたがたの敵を愛しなさい。」と言われるのです。
 イエス様は「自分を愛してくれる者たちを愛したとしても、あなたがたにどんな恵みがあるでしょうか。罪人たちでも、自分を愛してくれる者たちを愛しています。」とまで言われます。確かにその通りだと思います。確かに愛は見返りがないほど本物なのでしょう。けれどイエス様の教えは理想ですけれども、現実と言うものを知らない。これが他人事であれば、何の文句もでないのです。一般論としてであれば、汝の敵を愛せよ。とおっしゃるイエス様に、何と懐の広い教えだろうか。と感心する所です。けれど、本当に苦しみの中にいる者は、誰かを憎むことで必死に耐える力を得ているのです。家族を事故で失った方が、相手を憎むことで懸命に今の喪失感を耐えている。そんな胸中の者にとって、イエス様の教えは苦しみに寄り添っているようには到底思えません。
 けれど、だからこそです。イエス様は愛しなさいと言われるのです。愛とは意思を伴う決断です。好きになると言うこととは違います。もし、このところで、「あなたの敵を好きになりなさい。」と命じられているなら、これはもう絶対に無理な話です。私たちの感情は、それを受け入れることはできません。私たちは私たちに敵対する者を好きになることはできません。苦手です。嫌いです。けれど意思をもって、愛すると決断するのです。なぜなら、それこそが唯一、憎しみの連鎖を断ち切る手段だからです。
 「やられたらやり返す。」というフレーズが受けたのは、皆が我慢を強いられているからです。抑圧された中で、いつかはやり返したい。仕返ししたい。復讐を糧に、今を耐える。これは私たちのこの世を生きる知恵でありましょう。けれど、「やられたらやり返す」は「やり返したら、やられ返される。」ということでもあります。復讐というのは、新しい復讐を生みます。一度打たれたら、二度打ち返す。二度打てば、四度打ち返される。より激しさを増しながら、憎しみは膨れ上がります。人と人の対立は、やがて世代を超え、時代を超え、部族間、民族間、国家間の対立へとまで発展していくのです。
 憎しみの連鎖の中に身を置いていても、決して幸せにはなれません。たとえ復讐を果たしても満足することはありません。より一層憎しみから抜け出せなくなるだけです。辛くとも、苦しくとも、憎しみを断つことが大事です。もちろん、それが難しいことは承知です。けれどだからこそ聖書は「あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くなりなさい。」と語っているのです。敵を見ながら、愛すると決断することは到底できることではありません。自分に向けられた敵意を意識しながら、尚も手を差し出すことは本当に難しいことです。ですから私たちが見るのは、天の父です。天の父がいかに恩知らずの私にも憐れみ深い方であられるか。ここを見るのです。私たちに対するイエス様の立ち振舞いこそが、「あなたの敵を愛する」ことの実践であります。
 私たちが愛したから愛されたのではありません。敵対する者であった私たちのために、主がその身を献げられた。憎しみを一心に背負って断ち切られた。私たちはそれゆえ、いと高き方の子とされたのです。私たちに愛される資格があったわけではないのですから、私たちが愛するのに、相手に資格を求めるわけにはいきません。どうせ無理だと諦めず、失敗を繰り返しながら、愛することを学んで行きたいと思います。愛すべきその敵は、立場を違えど、愛することに悩み、葛藤するその人に他ならないからです。

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