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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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210217 民数記22:21-41 「みことばにひれ伏し」

民数記22:21-41 「みことばにひれ伏し」

 今日の箇所は、バラムがバラクのもとに行く道すがらの不思議な出来事についてです。バラムの乗っていたろばがうずくまってしまい、バラムは怒りのままにろばを杖で打ち付けます。するとろばが喋り始めて、バラムを諭し始めるのです。しかし、実はそこには剣を持った主の使いがおりました。ろばが身を巡らせていなければ、主の使いがバラムを滅ぼしていたところでした。バラムはろばによって救われていたのです。本人の気付かぬところで、多くの助けがあるものです。けれどそのことに一向に気付けないのはバラムがの高ぶりです。目のおおいが取り去られて、主の使いの姿を確認して、ようやくバラムは自らの罪を悟ります。そして、主のお告げに従い、心新たにして、バラクのもとへと出発するのです。
 さて、この出来事は主の使いがろばを用いてバラムを諫め、彼の態度を改めさせ、主の御用に相応しく整えられる場面です。しかし、彼の何が問題だったのでしょうか。22章の前半を見る限り、バラムは主のお告げに忠実なしもべのように見えます。彼はまず主のことば通りにバラクの誘いを断りました。再びの時は、主のお告げ通り、バラクの使いたちと共に出発をいたします。神のことばに忠実なバラム。と一見見えなくもありません。けれど、彼の狙いは別にありました。Ⅱペテロ2:15-16には、この時のバラムの様子を解説して次のように記しています。「彼らは正しい道を捨てて、さまよっています。ベオルの子バラムの道に従ったのです。バラムは不義の報酬を愛しましたが、自分の不法な行いをとがめられました。口のきけないろばが人間の声で話して、この預言者の正気を失ったふるまいをやめさせたのです。」バラムは不義の報酬を愛したとあります。つまり、バラクの申し出を一度断ったのは、自らの価値を高めるための小賢しい知恵であり、バラクから手厚い報酬の約束を引き出すことができたのでバラムは出かけたのです。主に伺いを立て、主のことばに聞き従っているように見えたのは全て彼のポーズでした。主のことばを自分の利益のための権威付けに利用する、その身勝手な振舞いを主は怒られたのでした。
 つまり、神のことばを自らの計画や考えを押し通すための錦の御旗にしてはいけないということです。バラムには神のことばに先立つ己の企てがあったのです。占いというのはそういう側面があります。ことの現象を見て解説する占いは、しかしその解説の根拠を示すことができません。たとえば亀の甲羅を焼いて、その焼き跡を見て占う。しかし、そのひびが何を意味するかは占い師の匙加減です。星占いと言いますが、その星の動向が何を意味するかは、経験から来る予想に過ぎません。つまり占い師は起こり得るあらゆる現象を自らの経験や考えを根拠として語るのです。その逆ではありません。けれど、主が再三に渡っておっしゃるのは、「あなたはただ、わたしがあなたに告げることだけを行え。」ということです。そこに占い師の予想や意見は必要ないのです。主のことばに混ぜ物をせずに聞き、従う。みことばに対する謙遜さが彼には欠けておりました。みことばすらも自己実現のために利用しようとする高慢な態度がありました。
 もっとも彼自身、そのことに気付いていなかったのかもしれません。みつかいの剣の前にひれ伏した彼は目が開かれます。占い師から預言者へと変わった瞬間です。彼はバラクのもとに行き、堂々と宣言します。「私に何が言えるでしょう。神が私の口に置かれることば、それを私は告げなければなりません。」
 神のことばを自己実現のために利用することは、主の望まれることではありません。主が語られるところに、私たちの理解も、私たちの都合も関係がありません。告げられたままに従う。私たちに問われるのは、主の前にある従順です。私の計画を一旦おいて、主の御声に聞き従う者でありたいと思います。

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