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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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2015/09/20 ヨハネ3:16-21 「神は、実に、」

ヨハネ3:16-21 「神は、実に、」

 今日の箇所は、聖書の中の聖書と呼ばれる箇所です。ここに、「そのひとり子をお与えになったほどに」とあります。お与えになった。と言いますと、プレゼントというニュアンスで、とても平和的な感じがします。しかし、そうではないのです。そのひとり子をお与えになったほどに。それはつまり、犠牲にしたほどに。ということです。見殺しにしたほどに。と言っても良いでしょう。私たちの救いの道を備えるために、神は最も大切なひとり子をお見捨てになったのです。それはどれほど辛いことだったでしょう。
 先日、次男が入院をした折、子どもの叫びを無視しなければならないということが、親としてどれほど辛いかを経験しました。毎日お見舞いに行きますが、ご承知のように我が家には他の子達もおります。乳飲み子もいる。決して彼だけのために泊まることはできません。彼もそれを知っているので、ずっと、もう帰るの?まだいる?寂しいよ。の繰り返し。そしていよいよ帰る時間になりますと、看護師さんに預けるわけですが、寂しいよ。やだよ。帰る!と泣き叫んで暴れるのです。その叫び声を無視して帰らなければならないということは、これはもう、本当に心が張り裂けるような思いでした。
 父なる神は幾らでもイエス様を助けることができたのです。なのに、一向になさらない。それはどれほど辛いことでしょう。よく神様は悲しむことはないという人がいます。神様なんだから人間のように心を痛めることなどないと。けれど、そうでしょうか?神様は三位一体の神です。ご自身の内に交わりを持つお方です。ですから神は相互間の愛をご存じであります。時に怒られ、時に妬み、そして悲しまれるお方です。自分が造ったこの世界をご覧になって非常に良いと感動するお方であり、ご自身が造られた人間が裏切る時、心から悲しまれ、怒られる方なのです。そもそも、私たちに感情があるのは、私たちが神のかたちに似せて造られたからに他なりません。ですから、何が言いたいかと言いますと、父なる神がイエス様の叫びを聞いて、悲しまないはずが無いということです。心を痛めないはずがない。父なる神にとって、他の何とも比べることのできない大切な存在が、御子イエス・キリストなのです。その父なる神が、イエス様を見捨てられる。このことがどれほどあり得ないことかがおわかりでしょうか。
 ではなぜ、父なる神はイエス様を見殺しにされたのか。なぜ、神はイエス様の叫びを無視したのか。「それは、御子を信じる者が一人として滅びること無く、永遠のいのちを持つためである」と御言葉は言うのです。神の愛とは何と重く深いものでしょうか。ですから、私たちは神の愛を当たり前としてはいけません。受けて当然なんてもってのほかです。なぜなら神の愛は神の御子の犠牲の上にもたらされたものだからです。パウロは言います。「愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた愛し合うべきです。」(第1ヨハネ4:11)私たちに求められているのは、愛を強要することではありません。むしろ私たちが愛する者となることです。十字架に見る神の愛に倣って、私たちもまた互いに愛し合うのです。いえ、私たちもまた互いに犠牲を負い合うのです。

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