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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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210328 ルカ7:24-35 「見るべきものは」

ルカ7:24-35 「見るべきものは」

 ヨハネの弟子たちの訪問に群衆はさぞかし興奮したことでした。あの有名なヨハネがわざわざ弟子たちを送りつけて教えを乞うなんて、やっぱりイエス様はすごい。という具合です。けれどそこには、例のごとくパリサイ人や律法学者たちも紛れ込んでおりまして、ヨハネを貶めるような話をするわけです。それこそ、ヨハネの着るものですとか、暮らしぶりを馬鹿にするんですね。そんな群衆に向かって、イエス様はヨハネについて語り始めます。「あなたがたは、何を見に荒野に出て行ったのですか。風に揺れる葦ですか。では、何を見に行ったのですか。柔らかな衣をまとった人ですか。ご覧なさい。きらびやかな服を着て、ぜいたくに暮らしている人たちなら宮殿にいます。では、何を見に行ったのですか。預言者ですか。そのとおり。わたしはあなたがたに言います。預言者よりもすぐれた者をです。」
 ヨハネを見にわざわざ荒野まで出かけて行って、風に揺れる葦を見ていても仕方ないわけです。きらびやかな服を来て、贅沢に暮らしている人を見たければ宮殿に行けばいいわけです。預言者を会いに行ったんだから、預言者の言葉を聞かなければ意味がありません。つまり、話の争点がずれていると指摘しているのです。預言者に問われるのは預言そのものです。神のことばを預かっているならば、たとえ年が若かろうと、老いていようと、乱暴者であろうと、臆病者であろうと、そんなことは関係がないのです。
 イエス様はヨハネが預言者として最も優れていると言われます。なぜでしょう。預言者とは神のことばを預かって、神のみこころを告げ知らせる者だからです。これまでの預言者たちは民の罪を指摘し、悔い改めて神の救いを待ち望むように伝えたのです。けれどヨハネは違います。ヨハネはいずれ来る救いではなくて、今まさに来ている救いを語るのです。イエス様その人を指さしまして、「見よ。世の罪を取り除く神の小羊。『私の後に一人の人が来られます。その方は私にまさる方です。私より先におられたからです』と私が言ったのは、この方のことです。」(ヨハネ1:29-30)と紹介します。ヨハネほど明快に救い主を告げた預言者は他にはおりません。イエス様が「女から生まれた者の中で、ヨハネよりも偉大な者はだれもいません。」とおっしゃられるのは、このためです。
 イエス様は続けて言います。「しかし、神の国で一番小さい者でさえ、彼より偉大です。」神の国で一番小さい者。とはつまり、救われて神の子として生まれ変わった者のことです。全てのキリスト者です。救いを待ち望む者よりも、救いを指さす者よりも、救いを経験した者が誰よりもキリストを証言できるのは当然のことです。イエス様の到来はもはや預言者を必要としなくなるのです。
 一方で、預言者の声も、イエス様の福音も、キリスト者の証言をも拒み続ける人たちがいます。パリサイ人や律法学者たちです。イエス様は彼らを譬えて言います。「広場に座り、互いに呼びかけながら、こう言っている子どもたちに似ています。『笛を吹いてあげたのに、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってあげたのに、泣かなかった。』」とです。彼らはバプテスマのヨハネが来てパンも食べず、ぶどう酒も飲まずにいると、『あれは悪霊につかれている』と言います。けれどそれは、ヨハネが人中を避け、神の御声に集中するためにです。ぶどう酒を飲まないのはナジル人としての生活をしていからであります。地上の歩みの一切を神のみこころを伝える預言者として献げたのです。また彼らはイエス様が来て食べたり飲んだりしていると、『大食いの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ』と言って非難します。しかし、それはその人たちを救われるべき魂としてご覧になっているからです。そこには救いを必要とする人々がいます。イエス様が非難されるのは、その愛の故なのです。パリサイ人や律法学者たちの論点のずれ様です。預言者が来て、その預言に耳を傾けず、暮らしぶりや服装ばかり見ていても仕方ないのです。救い主が来て、その救いの御業に目を留めず、その福音の調べに耳を傾けずでいては、意味がないのです。
 私たちの常識や、私たちの願望、私たちの必要、まずそういったものを一切脇に置かなければなりません。主が語り、お見せになっている御業があるのに、枝葉ばかりを気にしていてはいけないのです。私たちが気にかかるそのことは、果たして主の御業よりも大事なのでしょうか。安息日に労働しないことや罪人たちと食事をしないということは、その人が癒されること以上に大切なのでしょうか。絶望から希望へ。目の前に新しく生まれ変わった人々がいます。知恵の子たち。ここを見なければ。その一人一人の変化こそが神の知恵の正しさなのです。

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