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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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2015/05/17 ピリピ3:17-21 「国籍は天にあります」 召天者記念礼拝

ピリピ3:17-21 「国籍は天にあります」

 永遠の命の希望とはよく聞きますが、実際にはそれはどういうものなのでしょうか。古くから数多の人々が永遠の命を追い求めておりました。秦の始皇帝は不老長寿の薬を求めるあまり、水銀によってなる劇薬を口にして死を招いたと言います。西洋では不老不死を求めて錬金術が盛んになりました。日本でも人魚の肉を食べて不老不死になった八百比丘尼(やおびくに)の伝説が残っていたりします。私が幼少の頃には不老不死の体を求めて銀河を旅するという銀河鉄道999というアニメまでありました。永遠の命を求める思いは、人類共通のものであるように思います。それは人類の誰もが逃れることの出来ない死への恐怖の裏返しと言えなくはありません。しかし、です。私たちキリスト者が持つ永遠の命の希望。天国の希望とは、果たしてそれら不老不死ということなのでしょうか。
 例えばです。先ほど挙げました八百比丘尼(やおびくに)は、図らずも人魚の肉を食べて不老不死となった女性です。けれどこれは幸せの物語ではありません。不老不死となった結果、彼女は何人もの夫に死に別れ、知り合いも皆いなくなり、一人出家いたします。そして全国を巡り歩き、やがて若狭国に辿り着いて、遂には、生入定(いきにゅうじょう)つまり自らミイラと化して、即身仏となったというのです。
 これは笑えない冗談ではないでしょうか。人は死を恐れて不老不死を求めるわけですが、不老不死の実態は、究極の孤独だと言うのです。出会う人全ての老いも病も死も、全てを見送ることしか出来ない不老不死。これは希望ではなくて、むしろ絶望ではないでしょうか。よくペットを飼うのはいずれ死に別れるから嫌だという声を聞いたりしますが、もしも、出会う人全てとやがて死に別れ、一方的にそれを見送ることしか出来ないとするならば、私なら、もう一層のこと誰とも出会わない、関わらないと、思ってしまうかもしれません。
 確かに聖書の救いはあくまでも個人的。神と私という関係の中で問われる主イエスへの信仰です。そこには他人と比べてどうだとか、他人が何をしたとか、そういったことは一切関係がありません。けれど、救いによってもたらされる希望は決して個人的なものではありません。聖書の語る永遠の命の希望とは、天の御国に入れられる希望です。それは共に抱く希望。具体的には、死と復活そして再会の希望であると言えるでしょう。死と復活。しかしよみがえって後、私が一人であるとすれば、それは不老不死の孤独と何ら変わりがありません。しかし、そうではないのです。私たちは共に天の御国に入れられるのです。一人っきりの孤独な永遠ではなく、神の国の住人として、先に召された者、これから逝く者、信仰を一つにする全ての者たちが神と共に過ごす永遠。だからこそ、永遠の命は私たちにとって希望として輝くのです。

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