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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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2015/11/08 ヘブル11:20-22 「人生の終わりに」

ヘブル11:20-22 「人生の終わりに」

 今日の箇所では、イサク、ヤコブ、ヨセフと3人の族長の信仰についてが取り上げられています。と言いましても一人につき1節、3人でもたったの3節ですから、よっぽど印象に残る出来事が紹介されているのかと想像します。ところが、実際読んでみますと、どうもピンと来ない。イサクの井戸掘りであったり、ヤコブの神との格闘であったり、ヨセフの家族との再会の場面であったり、もっと、彼らの信仰を象徴するような出来事があってもいいんじゃないかと思ったり致しますが、ヘブル書はそれらのことを一切記しません。そこでは無くて、3人の族長の信仰の偉大さは、別のところにあると言っているのです。それが彼らの終わりの時の迎え方であります。
 彼らの人生は、振り返って何の葛藤もない平穏な人生ではありませんでした。波乱万丈。命の危険を覚える時もしばしば。何故このようなことがと神を恨んでもおかしくない、そういう状況を通ってきたのです。彼らはそのことで迷い、つまずき、その人生において様々な失敗を繰り返します。けれどです。彼らは、その死を間際にして、自身の決して平坦ではない人生を振り返りながら、やっぱりあなた達もこの祝福と希望の内に生きなさいと言い残していくのです。これより他に確かな道はないと語り継ぐのです。
 ヘブル書は彼らの一つ一つの人生の出来事を振り返って、あの時は失敗した。あの時は正しかった。と、評価することをいたしません。人生の終わりを祝福の内に迎えたこの事実のみを記します。そして、これこそが彼らの信仰が賞賛されるべき理由だと言うのです。
 このことは実はとても大きな慰めではないでしょうか。それは、神が私たちの弱さを見張っておられるのではなくて、私たちの行き先を見守っておられるということだからです。私たちは愚かで、どうしようもなくて、自分でも願わないことを繰り返してしまう者で、私たち自身がもうダメだ。私は神から見捨てられた。私はもう神に合わせる顔がないと考えてしまいがちですけれども、そうじゃない。神様はそこを見てはおられない。どれだけ失敗しようが、どれだけ罪を犯そうが、神はただただ私たちの帰りを待っていて下さる。私たちが地上の生涯の終わりを神の祝福にとどまって迎えるようにと望んでいてくださるのです。

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