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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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2015/11/15 ヨハネ3:31-36 「天のあかし」

ヨハネ3:31-36 「天のあかし」

 この箇所の直前3:30の終わりで鍵括弧が閉じています。実はこのことは大きな意味を持っています。欄外に「バプテスマのヨハネの引用をここまでとしないで、36節の終わりまでとして訳すこともできる」とありますように、文法的な意味から行くとどちらも可能性があるのです。事実、口語訳聖書は36節の終わりで鍵括弧が閉じています。この場合、この箇所はバプテスマのヨハネのセリフの続きと言うわけです。けれど新改訳聖書では30節の終わりで鍵括弧が閉じています。敢えてそうしている。すると、この箇所は、この福音書の著者である使徒ヨハネの記述となるのです。
 今、使徒ヨハネはキリストを誤解している異邦人クリスチャンに向けて、イエス様とはどのような方か知らせようと福音書を記します。そして、バプテスマのヨハネを記し、彼がどのようにイエス様を理解していたかを紹介します。バプテスマのヨハネは繰り返し繰り返し、神の子キリストを証していました。そして彼の証言を繰り返し記す中で、執筆者である使徒ヨハネは、一旦筆を止めてイエス様に思いを馳せるのです。バプテスマのヨハネが「私より先におられた方」と言ったイエス様。確かにイエス様は神の子であられた、と思い返しているのです。
 使徒ヨハネは記します。「上から来る方は、すべてのものの上におられ、地から出る者は地に属し、地のことばを話す。天から来る方は、すべてのものの上におられる。」彼はここで、イエス様が地に属する者とは根本的に違う、上からの方だと語ります。そして「この方は見たこと、また聞いたことをあかしされるが、だれもそのあかしを受け入れない。」とも言います。「あかし」というのは、見聞きし、体験したことを語ることです。決して、こうであろうとか、こうであったらいいのに、という未知の話ではありません。つまり不確かな言葉ではなくて確かな言葉です。一見は百聞に如かずと言いますが、実際に体験した人の言葉は揺らぎません。イエス様は上から来る方であり、無限の御霊を与えられているお方です。天の一切を余すこと無く語るのはこのお方の他にはおりません。御子は、見えない神のかたちとなるべく、人としてお生まれになったのです。ですから、この方を信じるならば、それは神を信じるということであり、この方のあかしを受け入れるということは、神の真実を受け入れるということなのです。神の言葉はこれ以上ないかたちで明らかにされたからです。
 なのに、人々はこの方のあかしを受け入れない。イエス様の言葉に耳を傾けない。いったい何ということか。と歯ぎしりする使徒ヨハネの嘆きを私たちは聞くようです。ですから、私たちは、最後に厳しいこの1節に耳を傾けなければなりません。「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」イエス様が見えない神のかたちです。イエス様を見るなら、それは神を見たことであり、イエス様を信じるなら、それはイエス様を遣わされた神を信じるということです。ならば、イエス様を信じない者は、神を信じない者であり、イエス様を否定するものは、神を否定する者となるのです。イエス様のあかしは人々を2つの者に分けられます。永遠のいのちを持つ者と、神の怒りが留まる者です。あなたはどちらかと問われているのです。

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