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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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2015/12/06 ルカ1:39-45 「信仰の同志」

ルカ1:39-45 「信仰の同志」

 御使ガブリエルによって妊娠を告知されたマリヤ。最初は戸惑い、恐れるも、やがて、そのことを受け入れてひざまずきます。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」しかし、では生活の全てが解決して安心できたかというと、もちろん、そういうわけではありません。むしろ問題はよりリアルになっていきます。
 次第に大きくなるお腹に、妊娠していることを隠すことはできません。しかし一方で、御使いの知らせを皆に語ろうとも、信じてもらえないのは目に見えています。人々は好き勝手に噂します。本当のことを伝えられず、他人の噂に身を晒すということは、とても辛いことです。マリヤは身に起こる変化に神のご介入を確信しています。そこに疑いはありません。けれど、だからと言って人々のあらぬ言動や好奇の目に傷付かないかと言いますと、決してそんなことはありません。彼女は居てもたってもいられず村を出ます。彼女はガブリエルが告げたエリサベツのところに向かうのです。「そのころ、マリヤは立って、山地にあるユダの町に急いだ。」とあります。急がずにはいられなかったのです。
 エリサベツは不妊の女でした。願っても叶わない祈りを何十年と続け、その度に挫折を経験して来ました。やがては祈ることもやめ、現状を受け入れて今に至りました。それが神のみこころなのだと心に折り合いをつけて過ごして来たのです。ところが、そんなエリサベツに子が授かりました。それはあり得ないことです。神の奇跡です。マリヤはその知らせを聞いて、自身の身に起きる出来事を受け入れる決心をしたのです。ですから、マリヤはエリサベツのもとに急ぎます。他の誰に言っても信じてもらえない。話せない。けれどエリサベツになら話せます。彼女だけは、この世界で唯一、マリヤの置かれた現状を理解してくれるだろうからです。
 考えてみますと、エリサベツが不妊の女であったということが用いられているのです。エリサベツがもう少し若ければ、マリヤにとって何の力添えにもならなかったでしょう。彼女がもう何人も子どもを産んでいる人だったら、何の不思議もありません。彼女が不妊の女だったからこそ、エリサベツの存在はマリヤの支えとなるのです。同じ立場に置かれた二人だからこそ、二人は互いの支えとなります。その痛みも悲しみも戸惑いも自らと重ねあわせる二人だからです。
 実はこの交わりは私たちも経験しているところです。すなわち教会の交わり。信仰による兄弟姉妹の交わりです。なぜなら、私たちが置かれている日常では、私たちの最も深いところを分かち合うことが出来ないからです。私たちは、どれだけ親しい人とおります時も、どこかで信仰のゆえの孤独を覚えます。こんなことを言ってもわかってもらえない。変に思われる。他人の目を気にしながら、私たちは肩身の狭い思いをして過ごしているのです。しかし、この地上で唯一、私たちの最も大事なところを共有する交わりがあります。それがこの教会の交わりです。
 共に集い、共に讃美し、共に主を礼拝する。私たちもまた、まことの神を知らないこの偶像の国において、挫けそうになる心を抱えて、必死に踏ん張り続けております。しかし私たちは、教会の中にあっては、心安らかに、その荷を降ろすことができる。その荷を分かつことができる。このことは何という恵みではないでしょうか。マリヤがエリサベツの前で包み隠さずに話せたように、私たちは兄弟姉妹の前で、私たちの最も深い部分を共有できるのです。この兄弟は私の痛みを知っています。この姉妹は私の叫びに耳を傾けてくれます。ですから、私たちはこの交わりを大切にしたいのです。近すぎる関係は時に煩わしく思うでしょうか。面倒に思うでしょうか。けれど、敢えて言います。私たちの信仰はこの交わりの中でのみ支えられるのです。一人で立っていられるほどに、私たちは強くはありません。世の中の価値観はいつも私たちを覆い尽くそうとします。けれど私たちは一人ではありません。私たちには、同じ戦いの中に置かれた信仰の同志がいるのです。そして、私たちがこの交わりの中で励ましを得るように、あなたの存在が、経験が兄弟姉妹の励ましとなるのです。あなたの試練が、失敗が、兄弟姉妹の支えと変えられるのです。そのとき私たちは、主にあってむだなことはないと知るのです。




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