FC2ブログ
プロフィール

Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
検索フォーム
リンク
QRコード
QR

2016/01/10 ヨハネ4:19-26 「霊とまことによって」

ヨハネ4:19-26 「霊とまことによって」

  サマリヤの女性の話の続きです。イエス様は彼女の日常の問題、周囲からの扱いを問題にはしていません。彼女は確かに人々からのけ者にされ、孤独の内におりますが、だからと言って目先の井戸を与えることはいたしません。それは彼女の望むところですが、しかし、彼女の救いとはならないからです。彼女は確かにこの現状を嘆いておりますけれども、だからと言って行いを改めて日常を取り戻そうとはいたしません。遠く炎天下のヤコブの井戸に通うことを選んだのは彼女自身です。つまり彼女には罪ときちんと向き合うという気持ちが無かったのです。そのような彼女に対して、確かにイエス様なら彼女の生活を向上させることはできたでしょう。ヤコブの井戸に勝る井戸を用意し与えることもできた。しかし、それでは彼女の魂は救われません。彼女が自らの罪と向き合い、そして心からその罪から離れたいと願わなければ、彼女の心の向きが神に向かなければ、決して彼女に救いは訪れません。ですから、イエス様は彼女の核心に触れます。彼女の心の闇を光の下にさらけ出すのです。
  彼女がここで急に礼拝の場所を気にするのはなぜでしょう。それは彼女の精一杯の抵抗だったのではないでしょうか。彼女は思いがけないイエス様との出会いを通して、今まで見て見ぬ振り、きちんと向き合おうとしない自分の弱さを明らかにされます。彼女は生きるための水を汲みに、ヤコブの井戸に来ていますが、本当に必要なのはいつまでも乾くことの無い泉。永遠のいのちへの水であることを悟ります。そして今、彼女はその生き方を変える決断を迫られているわけです。けれど、どうでしょう。皆さんも経験がおありでしょうが、たとえ目の前に真実があろうとも、それがどれだけ正しいと理解できても、そのために自分の生き方を変えようという決断はなかなかし辛いものではないでしょうか。覚悟が持てない。ですから、彼女は抵抗するのです。「でも私たちとあなたたちとでは礼拝する場所が違いますよね。いったいどちらが正しいんですか?それがわからないと、私は礼拝なんてできませんよ」
  しかし、イエス様は「霊とまことによって礼拝しなければなりません」と言われます。イエス様がニコデモに語られた言葉を思い出しましょう。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」霊とは「御霊によって生まれた者」とはっきりと語られています。つまりイエス様はここで、そういう場所だとか、熱心だとか、そういうことでまことの礼拝が決まるのではなくて、「霊とまことによって」つまり、救い主を信じて新生すること。聖霊がその内に住みたまうことによってのみ、まことの礼拝をささげることができるんですよ。と、こう教えているんですね。そうでなければ、ゲリジム山であろうと、エルサレムであろうと、どれだけ熱心に、正しさを求めようと、それは決してまことの礼拝とは言えないのです。だから、今、あなたはゲリジム山かエルサレムかと、枝葉の問題を言い訳にして、決断を先伸ばしてはいけない。「今がその時です」よと問われているのです。
  信仰の決断することは、勇気が要ることですね。それは具体的な生き方の変更を伴うからです。つまり自分にばかり向いていた生き方を、神に向けて生きると言うことです。それは少なからず、私たちの日常を変化させます。ですから、私たちはすぐに色んな理由を持ち出します。どこで礼拝すればいいのかわからないから。どのように信じればいいのかわからないから。私はまだ若いから。覚悟が決まらないから。聖書を熟知していないから、だからまだ決められない。そう言って先延ばしにするのです。けれどです。問われているのは、私たちの知識ではありません。経験でも、能力でも、方法でもありません。問われているのは「いつか」ということです。そして「今がその時」と言われるのです。

コメント

非公開コメント