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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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160131 ヨハネ4:43-45 「上辺だけの歓迎」

ヨハネ4:43-45 「上辺だけの歓迎」

 サマリヤ滞在を2日間伸ばすほどに大成功を収めたイエス様一行が、故郷ガリラヤへと凱旋する場面です。事実、ガリラヤでは皆がイエス様を歓迎いたしました・・・が、話はそう単純ではありません。と言いますのも、イエス様が「預言者は自分の故郷では尊ばれない。」と証言しておられたのに、実際にガリラヤに行きますと、彼らはイエス様を歓迎したのです。明らかに矛盾です。これはイエス様の予想が間違っていたということなのでしょうか。
 そうではありません。ヨハネが記す人々の歓迎とは、本物ではなかったということです。彼らは確かにイエス様を歓迎します。しかしそれは「イエスが祭りの間にエルサレムでなさったすべてのことを見ていたからである。」とある通りなのです。エルサレムでは人々が「イエス様が行われたしるしを見て、御名を信じた。」という出来事がありました。その様子をガリラヤの人々も見ていました。エルサレムで行われたしるしの数々を、このガリラヤでもと期待した。そういう思いで人々はイエス様を歓迎したというのです。直前にあるサマリヤの人々の歓迎ぶりとは全く違います。サマリヤの人々は、一人の罪深い女性の言葉に突き動かされてイエス様の前にやってきますが、彼らは、イエス様のことばを真摯に聞いて、自らの告白としてイエス様を信じます。一方で、ガリラヤの人々は、エルサレムでイエス様のしるしを見て歓迎した。それは珍しいサーカス団を歓迎するのと何ら変わらない単なる好奇心です。ですから、イエス様が「預言者は自分の故郷では尊ばれない。」とおっしゃったのは、イエス様の間違いではなくて、ガリラヤの人々の心の内を的確に言い当てていたと言えるのです。
 さて、そうしますと、もう一つの疑問が沸いてきます。イエス様がガリラヤの人々の本心を予め知っていたとして、ではなぜ、わざわざイエス様は歓迎されない故郷に帰ったのでしょうか。それは、受け入れられないと分かっている中を 敢えて帰るということです。これは驚くべきことです。伝道をするのに、もっと効率の良い土地は幾らでもあったことでしょう。イエス様の教えを首を長くして待っている人々は他にも大勢いたことでしょう。それでもイエス様はガリラヤに向かいます。見て見ぬ振りをすることができなかったのです。面倒だから、難しいから、関わらないとは言いません。なぜなら、どれだけ歓迎されなくとも、そこはやはり福音を届けるべき伝道の地だからです。そこに住む人々の救いを誰よりも願われるイエス様だからです。
 身近な人に福音を伝えるということは難しいことです。過去を知っている人にとって、先にある固定観念が邪魔をすることは確かにあるのです。しかし、だから語らなくて良いわけではありません。救われなくて良いはずなどありません。
 昔の自分を知っているということは、言い換えれば、私の内に起きた変化を一番良く知 ることができるということでもあります。また、普段から身近にいるということは、語るべきチャンスが与えられているということでもあります。偏見を超えて相手を認めるには、時間がかかります。きっかけが必要なときもあるかもしれません。しかし「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」とも言われています。諦めずに粘り強く関わり続けていくとき、きっと主は友人も家族も、関わる身近な人を救って下さるという希望があるのです。

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