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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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230906 ルツ記3 「誠実を積み重ね」

ルツ記3 「誠実を積み重ね」

 未亡人となった嫁のルツを伴って、ナオミは故郷であるユダの国に帰ってきます。頼るところといえば、夫の親戚でエリメレクの一族に属する有力者のボアズ。ルツはナオミの許可をもらって落ち穂拾いに出かけます。ボアズはわざと穂を抜き落として、彼女に目をかけてやります。ナオミとルツはそのようにして新しい地で食いつなぐことができたのです。
 この一連の行為を聞いて、ナオミはボアズが買い戻しの権利のある親類であることを明かします。そして、身支度をしてボアズの寝所に潜り込むようにと伝えるのです。けれど、ナオミが単に生活のために、ルツをボアズと結びつけようとしているのではありません。「娘よ。あなたが幸せになるために、身の落ち着き所を私が探してあげなければなりません。」ナオミはあくまでもルツの幸せを願って、落ち着く先を探していたのです。
 本当はナオミは息子が死んだ時点で、ルツを実家に帰らせようとしたのです。ルツはユダヤ人ではありません。モアブの者です。そして彼女はまだまだ若く、これからの人生があります。やり直しが利きます。息子が死んだ今、ユダヤ人ではない彼女をこれ以上付き合わすわけにはいかない。嫁を思うがゆえにナオミは別れを切り出したのです。事実、弟嫁のオルパは実家に帰っていきました。けれど、ルツはナオミから離れません。「お母様を捨て、別れて帰るように、仕向けないでください。お母様が行かれるところに私も行き、住まれるところに私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたが死なれるところで私も死に、そこに葬られます。もし、死によってでも、私があなたから離れるようなことがあったら、【主】が幾重にも私を罰してくださるように。」と言って、ナオミとともにユダの地にまで伴ってきたのです。ルツにとってナオミは血の繋がった息子以上に家族でした。だからルツの幸せは彼女の心からの願いであり責任なのです。そして、ナオミはボアズをこれ以上無い人物であると認め、ルツをボアズのもとに送るのです。
 寝所でルツに気付いたボアズはルツを気遣い、買い戻しの権利のことを伝えます。権利の順序を規定通りに踏まえて、正式にルツを迎えるように手配するのです。その時ボアズは付け加えます。これは土地だけの話ではなくて、エリメレクの名を残すためにエリメレクの息子の妻、モアブ人のルツをも買い戻し、その長男にエリメレク、マフロンの家を継がせなければならないとです。つまり自分の家は次男に継がせることになるのです。そのため順位が先だった者が断ったのは、ある意味当然のことなのです。次男が生まれなかったらどうなるのでしょう。長男は買い戻した家を継ぐことになるのです。これは律法によって定められているのです。すると、次男が生まれなければ自らの家が閉ざされることにも成りかねないのです。これは博打のようなものです。ですから、むしろこれを引き受けたボアズのほうが驚きなのです。
 なぜボアズはこの権利を行使して、ルツを買い戻すのでしょうか。それほどルツが美しかったということでしょうか。ボアズは言います。「あなたの夫が亡くなってから、あなたが姑にしたこと、それに自分の父母や生まれ故郷を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私は詳しく話を聞いています。【主】があなたのしたことに報いてくださるように。あなたがその翼の下に身を避けようとして来たイスラエルの神、【主】から、豊かな報いがあるように。」
 ルツのこれまでの誠実な日々がボアズの耳に届いていたのです。ボアズはそれゆえにルツに親切にしたのです。誰に見せるでもない日々の行いの誠実さが実を結んだのです。
 誰も見ていない中でも誠実に生きる。これは意外と難しいことです。誰かが見ている中で誠実に振る舞うことは幾らでもできるのです。けれど誠実さとは、誰もが見ていないという中でこそ問われるのです。ルツはボアズのことを全く知りません。これまで出会ってもいません。ですから、ルツのナオミに対する思いは打算なしの思いです。だからこそボアズはルツの心に打たれたのです。ルツが計算高い女性なら、ボアズは手を差し伸べなかったでしょう。けれどルツが見返りを求めずにナオミに献身的であったから、ボアズは彼女を買い取る決意をしたのです。
 この出来事は、私たちにもボアズがいるということを教えています。天の父なる神のことです。私たちの日々の中で、誰にも知られないことが多いかと思います。こんなことをやって何の意味があるのか。こんなことをやって誰が得をするのか。けれど、それを見ていてくださっている方がいる。知っていてくださるお方がいるのです。ですから落ち込む必要はありません。あなたの誠実さを神は見ておられます。そして確かに報いてくださるのです。

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