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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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160306 へブル11:28-31 「脱出の道」

へブル11:28-31 「脱出の道」

「信仰によって」という書き出しで始まるこの4節は、モーセ、ヨシュアの時代に起きた驚くべき神の御業を体験したイスラエルの様子が記されています。
 エジプトを襲った災いを過ぎ越すために鴨居と門に生贄の血を注ぐモーセ、迫りくるエジプト兵から逃れるために海の底に足を進め、エリコの城壁の周りを無防備に行進するイスラエルの民たち、イスラエルの偵察隊をかくまい、彼らの神を信じて、後にイスラエルによる聖絶から免れる遊女ラハブ。特徴的な4つの場面は、どれも絶体絶命という場面を「信仰によって」潜り抜けたという話です。なるほど、神を信じて委ねていれば私たちには何の心配もない。と、こういうことでしょうか。しかし、考えてみますと、これらの人々の信仰が試されるのは、そこに何の解決も見いだせないような状況に陥ってのことでした。信仰をもって神に従うとは言うのは簡単ですが、その信仰が問われるのは、まさに試練の真っただ中でのことです。私たちはこの記事を読みまして、ああ、彼らは信仰の故に問題を解決したんだなぁ。信仰を持つことが大事だなぁと、こう思うわけですけれど、いざ自分の身に当てはめたとき、果たして試練の中でどれほど神に信頼して従えるだろうかと問われているわけです。いったいどこに解決があるのか、万策尽きて、もう何も希望が無くて、この問題が解決するところが全く想像できない、そういう状況の中で、神には解決があると信じて従うことは、言うほど容易いことではありません。むしろ、私たちは結果を見てから従いたい。この道が間違いなく脱出につながっている。この橋は絶対に落ちない。と確認して、それでようやく渡りたい。けれど、それは信仰とは言わないのです。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」先の見えないその時に、神を信頼して従うということが信仰なのです。
 この4つの出来事にかかわる人々の信仰が称えられるのは、それが問題の渦中にあっての選択だということです。現実には何の解決も見いだせない、そのような状況の中で、彼らは神に信頼することを選んだのです。実はこの順番が大事です。まず、信じる。信頼する。心を決める。脱出の道はその後に用意されているのです。私たちは、この問題が解決してくれたらあなたを信じます。と言いがちですね。この大変な状況が解決したら、あなたに従います、とです。だから、とりあえず、このことをどうにかしてください。と神を脅迫します。そして、これを解決してくれれば信じると言っているのに、あなたはなんで聞いてくれないんですか。と神に不平不満を訴えるのです。
 違います。まず、神に信頼することから始まるのです。試練とは、神が私たちをご自身に立ち返らせるための躓きの石です。神は目的をもってその石を置かれているのです。ならば、まず私たちは神に立ち返ることが先決です。アブラハムが息子イサクを捧げるようにと命じられたとき、アブラハムは泣く泣く刀を振り上げます。絶望的な状況の中で、まず神に従うことを選びます。すると、神は彼の覚悟を良しとして、そこに代わりの生贄を用意してくださったのです。
 私たちは先のことがわかりません。明日のことはわかりません。それでも、今日、神に信頼して生きることが大事です。神はご自身に従うその人を喜ばれないはずがないからです。神は必ずその試練の内に脱出の道を用意しておられるのです。

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