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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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160410 ヨハネ5:1-9 「言い訳の言葉」

ヨハネ5:1-9 「言い訳の言葉」

 ベテスダの池でイエス様は一人の病人に会いました。その人は、なんと38年もの間、病に苦しんでいたと言います。イエス様はそんな彼に声をかけられます。「よくなりたいか。」病気の者に、よくなりたいかと聞くのは、ナンセンスと言いますか、そんなの良くなりたいに決まっています。ところが、彼は「よくなりたい」とは答えません。「主よ。私には、水がかき回された時、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」と答えるのです。
 これはどうしたことでしょうか。実は彼はもう「よくなりたい」という積極的な思いを失ってしまっているのです。もう諦めてしまっている。だからイエス様は「本当にあなたは良くなりたいと思っていますか」と問うているわけです。けれど、これは無理もないことです。38年と言うのは、そういう期待を失うのに十分な時間なのです。
 イエス様は、「よくなりたいか」と問われます。私たちの本心を尋ねて下さいます。もちろん、イエス様はこの男のこれまでの歩みをご存知です。この男がどれほど良くなることを望み、それが適わず、あきらめざるを得なかったかを知っています。けれど、それでもイエス様は尋ねられます。「よくなりたいか」とです。なぜでしょうか。それは、イエス様が単にこの男の癒しを願っておられるのではないからです。神との関係の回復を、イエス様との繋がりを持つことを願っておられるからです。
 イエス様には、この男を、何も言わずいきなり治すこともできました。彼の身上を察して、人知れず癒すこともできました。何だったら、彼が望んできたように、水が動いたときに彼を池に入れて癒すということもできました。けれど、そのようにして彼が癒されたとしても、果たしてそれが、彼の魂の癒しとなるでしょうか。イエス様との繋がりを築くことになるでしょうか。場所は、異教まがいの噂が蔓延る回廊です。ここでもし癒しの事実だけがあったとしても、それはその噂が本当だったという話になりはしないでしょうか。不思議な事もあるもんだ。という話ではないでしょうか。イエス様はそのような癒やしを良しとはされません。イエス様はこの癒やしの出来事を通して、ご自身との関係を築かせようとしている。だから、彼の心からの声を待つのです。「よくなりたいか。」
 私たちは一向に解決しない現実の問題に直面した時、思い通りにならない理由を数え上げはしないでしょうか。なぜなら期待することは疲れることだからです。1ヶ月、2ヶ月のことではありません。何年も何年も願っても聞かれない。そういう現実の中で、私たちの心は疲れ果ててしまうのです。ですから、こういう理由だから仕方がない。沢山の言い訳を数え上げて、自分自身で結論を出して、悩むこと、考えることを終わらせてしまおうとするのです。けれど、問題から目を背けるあまり、そこで語られるイエス様の言葉にすら背を向けることはないでしょうか。イエス様が問うておられるのは、もっと単純です。これまでどうだったかということは問いません。なぜこうなったかイエス様はご存知です。イエス様が問われるのは一つ。「よくなりたいか。」あなたの正直な声を聞かせて欲しいとです。主の前に沢山の言葉はいりません。私たちは私たちの願うところを語るのです。心の声を告げるのです。

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