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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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160501 へブル12:1-3 「イエスから目を離さずに」

へブル12:1-3 「イエスから目を離さずに」

 聖書は、信仰生活と言うものを競争に例えています。それも「忍耐をもって」とありますから、短い50メートル走とか、100メートル走ではなくて、マラソンのような長距離走をイメージしているわけです。しかし競争といいながら、その目指すべきところは、誰かと競って1位を取るということではありません。最後まで走り抜くこと。途中で脱落しないことです。つまり競うのは自分自身と言うことです。長距離走の経験がある人はわかると思いますが、長距離走は他人を意識しすぎると完走することができません。自分のペースを崩してしまうからです。長距離走はあくまでも自分との戦いです。挫けそうになる心。投げ出したくなる心。そういった弱気な心と戦いながら、この一歩がゴールに繋がると信じて走り続けるのです。問題は、この競争はどこまで走ればゴールなのかがわからないことです。長く忍耐を求められる競争も、ゴールが見えているから頑張れるのです。あの丘を越えればゴールが待っている。そうわかっていれば、今の一歩を踏み出せるというものです。ところが、その丘を越えてみれば、そこにはまだまだ果てしない丘が連なっている。これは私たちの心を挫くのに十分すぎる理由ではないでしょうか。正直な話、私たちは信仰生活に疲れ果ててしまうことがあるのです。幾度となく繰り返される試練の数々に、もういいか。と心がぽっきりと折れてしまうことがあるのです。
 ですから、へブル書の著者はこの競争を続けるのに大切な2つのことを挙げています。一つは「いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨て」ること。もう一つは「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さない」ことです。
 マラソンを走るのに、わざわざ重たい荷物を背負っては疲れ果ててしまうだけです。それは無謀です。けれど、私たちはこと信仰生活においては、そのような無謀を犯していることがままあるのです。私たちにとっての重荷とは何でしょう。人間関係でしょうか。趣味でしょうか。仕事でしょうか。恋人でしょうか。それらは決して悪いものではありません。しかしどうでしょう。悪いものではありませんが、それらのものをあまりに抱え込んでしまっては、到底走ることはできません。例えばです。マラソンの最中に雨が降るかもしれないからと言って、リュックの中に傘や雨合羽を入れて、途中でお腹がすくといけないからお弁当も入れて、万が一けがをした時のために救急箱を抱えて、汗をかくから着替えも2、3着は用意して、そんな調子で大量の荷物を抱えて、じゃあマラソンを走りきることができるのかと言うと、それはやはり無理なのです。
 私たちは本当に必要なものだけにすべきです。それ以外は手放す勇気が必要です。では、本当に必要なものとは何でしょう。それは「イエスから目を離さない」ということです。イエス様は信仰の創始者であり完成者です。ですから、イエスから目を離さないとは、ゴールから目を離さないという意味です。ゴールが見えるということは、私たちにとって大きな励ましです。しかし、同時に、イエス様を見るということは、遠いゴールで待っているイエス様を見るということではなくて、今まさに私とともにいてくださるイエス様を見るということでもあるのです。
 先ほど賛美しました「Footprints」はまさに信仰生活の実際を歌ったものです。またイザヤ43:2には「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」ともあります。私たちが神の存在を見失うような試練の時、実は神が最も身近にいてくださる時でもあるのです。私たちは試練の時、何が苦しいのでしょう。それは神にも見放されたと思う孤独ではないでしょうか。しかし、それは正しくありません。神はあなたとともにいるのです。私たちは荒れた海を見て、不安になって、イエス様が共にいるという肝心なことを忘れてしまいます。もう一度イエス様に目を向けましょう。それは「あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。」

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