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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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2015/06/14 ヨハネ1:29-34 「御霊によるバプテスマ」

ヨハネ1:29-34「御霊によるバプテスマ」

 ヨハネはイエス様が自分よりもまさっている理由の一つに、自分は水のバプテスマを授けるけれども、イエス様は御霊によるバプテスマを授ける、と言います。二つのバプテスマの違いは何なんでしょう。
 そもそも、ヨハネが授ける水のバプテスマの特徴は悔い改めでした。マタイ3:6にはたくさんの人々が「自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。」とあります。ヨハネのバプテスマは、罪が赦されるために、人々を罪の告白と悔い改めに導くバプテスマでありました。しかし一方で、ここには救いの宣言は無い、とも言えます。当然で、救いの宣言は神の側からなされるものであり、ヨハネにその確証を与えることはできないからです。ヨハネに言えることはせいぜい、罪を告白して悔い改めてバプテスマを受ければ、神はあなたたちへの怒りを沈められるかもしれませんよ。救われるかもしれませんよ。と言うくらいです。
 しかし、御霊によるバプテスマは違います。イエス様はバプテスマを通して、神の確かな救いを宣言されるのです。マルコ16:16は、復活のイエス様が弟子たちに福音を宣べ伝えるようにと命じた後に続く言葉です。「信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。」ここで言うバプテスマは、もちろん水のバプテスマのことではありません。これは単に悔い改めのバプテスマではありません。これは文字通り救いを宣言するバプテスマであります。
 救いということを考える時、悔い改めはとても大切な要素です。悔い改めのないところに神の救いはありません。なぜなら、神の救いというのは、罪の故に神との関係が断絶してしまった私たちが、再び神との関係を取り戻すこと。これこそが「救い」だからです。この関係は、私たちの側から一方的に破棄してしまった関係ですから、これが取り戻されるかは、全て神の側にかかっているわけです。最終的判断は神に委ねられている。だからこそ、私たちにできることは悔い改めて神の判断に委ねるのみなわけで、だから、人々はヨハネのバプテスマを受けに来たのです。しかし、主イエスは、そのような人の側からの決意表明、信仰告白としてのバプテスマではなくて、神の側からの救いの宣言となるバプテスマを授けられると言うのです。
 使徒22:16「さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』」とあります。御霊によるバプテスマは罪を洗い流すのです。マタイ7:20-23を読むと、私たちの内側には、溢れ出る悪があると言います。それらはみな、私たちを神から引き離すものです。罪です。これらの罪を洗い流すためには、少々の水ではどうしようもありません。いえ、たとえ大量の水を投入したとしても、それは人の心から溢れ出るものですから、それらを完全に洗い流すことはできません。その人の心のうちに永遠の命の水が、泉となって湧き出るときに初めて、その人の内側は清められるのです。つまり、聖霊の内住です。御霊によるバプテスマを受ける時、私たちは罪の支配を離れ、神の御手の内に生きることができるのです。
 また、ローマ6:3-4は、主イエスにつくバプテスマは、その人をキリストの死と復活に与らせ、新しいいのちに歩ませると言います。ニコデモというパリサイ人が訪ねて来た時に、イエス様は言われました。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」意味を理解できないニコデモに、イエス様は続けて言います。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。」新しく生まれるとは、水と御霊によって生まれるということ。つまり、水と御霊のバプテスマによって。それは、神の前にある真心からの悔い改めと、御霊による清めと新生の取り扱いによって、ということです。その時、私たちは神の国に入れられるというわけです。
 水のバプテスマと御霊によるバプテスマ、二つのバプテスマが意味する所は悔い改めと清めと新生。実は世々の教会が大切にしてきたバプテスマとは、この両方の意味を含んでいるのです。水のバプテスマと御霊によるバプテスマは一つのバプテスマの裏表です。それは人の側からの悔い改めと信仰の表明であり、神の側からの御霊の取り扱い、清めと新生の恵みをもたらすのです。

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