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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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160508 ヨハネ5:31-47 「いのちを得るために」

ヨハネ5:31-47 「いのちを得るために」

 聖書信仰というのは、私たちの信仰の根幹に当たる部分です。私たちは聖書が全て神のことばであることをそのまま信じています。私たちは神の姿を見ることはありませんが、神は聖書のみことばを通して私たちに語り掛けてくださると信じています。ですから私たちは聖書を部分的に読むことはいたしませんし、自らの理解を超えることを無視して読むことはいたしません。イエスさまの実在を無視して、ただ今を生きるマニュアルとして聖書を読むことは、まったくもって虚しいことです。けれど、残念なことに、そのようにして聖書を読む方が少なくはないのが現実です。私たちはそうではなくて、神のことばに謙遜に聞きたいと思うわけです。
 で、少し想像をするわけですが、当時のユダヤ人は、じゃあ私たちと比べて聖書をいい加減に読んでいたのか、自分勝手に読んでいたのか、と言いますと、決してそういうわけではなかったわけです。むしろ、私たち以上に聖書に対する真剣さを持っていたんだろうと思うんですね。神様のことばを理解しよう、実践しよう、それはもう徹底的に調べて、重箱の隅をつつくほどに守ってきたわけです。けれどです。それほどまでに聖書に通じ、真剣に聖書を調べ続けた彼らなんですけれども、彼らには永遠のいのちがわからないのです。聖書をリスペクトして、忠実に実践しようと、神のことばを守ろうと躍起になったんですが、一向に永遠のいのちの確信が持てないのです。これはいったい、どうしたことなんでしょうか。
 それはつまり、そこにイエス・キリストがいないのです。彼らはイエス様を認めようとしません。ですから、彼らは聖書の字面は読めるのですが、懸命にその文字を調べはしますが、そこに書かれている神の真意に到達することができません。彼らは正しくみことばを読み解くことができなかったのです。
 イエス様は、ご自身が「行っているわざそのものが、・・・父がわたしを遣わしたことを証言している」とおっしゃいました。イエス様を見れば、イエス様が父なる神から遣わされた方であることは明らかなのです。38年間病であったその人が癒されました。他にも多くの希望のない人々がイエス様によって癒され、希望を得ました。この一人ひとりを見れば、その取り戻した笑顔を見れば、イエス様が、神が遣わされた御子であることに疑いようはありません。けれど、彼らはそのわざを見ないのです。だから父なる神がわからない。なぜならそのわざは、神のみこころの実現に他ならないからです。
 イエス様を抜きにして、誰もいのちを得ることはできません。「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに神の愛が示されたのです。」(Ⅰヨハネ4:9-10)とあるとおりです。ですから、イエス様が実在したかどうかは問題ではないなどという聖書の読み方など論外です。確かに、イエス様の存在は、世の常識の範疇では受け止められません。水をぶどう酒に変えるなどあり得ないことですし、死人が蘇るなど、私たちの常識ではあってはならないことです。ですから、多くの人は聖書からイエス様を外します。けれど、それでは永遠のいのちには至らないのです。聖書を読むとき、実は私たちがそれを理解できるかどうかは問われてはいません。なぜなら、聖書は信仰によって読まれなければならないからです。大事なのは理解することではなくて、信じることなのです。

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