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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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160626 ヨハネ6:41-51 「信じる者は永遠のいのちを持つ」

ヨハネ6:41-51 「信じる者は永遠のいのちを持つ」

 イエス様は言われます。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。」信じる者は永遠のいのちを持つ。これが信仰に対する報酬です。主を信じることによって得られる約束です。それは永遠のいのちだと言うのです。
 私たちの希望と言いましょうか、願いと言いますのは、もっと現実的です。先の希望よりも、今日の糧です。それこそ今日のおかずは何にしようかという疑問に対する答えです。日々起きる問題の具体的な解決こそが私たちの願いなのです。ですからせいぜい、信じれば幸せになれる。毎日の食べるに困らなくなる。健康で過ごせる。そういうことを願います。けれども、私たちにはもっと根本的な問題があるのです。それは死の問題です。いえ、死の先の問題と言ったほうが正しいかもしれません。イエス様はこのことについて問題にしているのです。マタイ16:26には「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」とありますが、これこそがイエス様の取り扱われる問題です。死が問題であるということは実は誰もが知っています。人は生まれた瞬間から死に向かって生きています。それは誰も逃れることができません。どれだけ悩んでも、ジタバタしても必ずやってくる死。ですから、私たちはわかってはいるけど、あきらめてもいる。考えるだけ気が滅入るので、考えないようにしている。けれど、聖書はその死の先に永遠があると言うのです。もしも死が全ての終わりであるなら、私たちの今は空しいものです。けれど死の先がある。人生の本番のステージはむしろそっちだと言う。だから、私たちは今このイエス様の言葉に聞かなければならないのです。
 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。」私たちがわかるかどうかを問うてはおりません。私たちがどれほど聖書に通じているかが決め手となるのではありません。それらはかえって信仰の邪魔をするかもしれない。そうではなくて、神の導きに身を委ねるのです。「互いにつぶやくのはやめなさい。わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。」とイエス様は言われました。父が引き寄せられないかぎり、です。信仰というものはもちろん私の決断です。告白です。けれど、それは神の導きなくしては、決してありえません。「聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。」(Ⅰコリント12:7)とある通りです。神は永遠のいのちに招いておられるのです。ですから私たちはこれにあがらってはいけません。
 私たちはどうでしょう。聖霊の迫りを受けて、主イエスの愛に触れながら、尚、理性を働かせては、そんな甘い話はないと踏みとどまってはいないでしょうか。私なんかが神の救いに与るなんてとんでもないと辞退してはいないでしょうか。しかし、そのような葛藤を覚えることこそ、聖霊が働かれている証です。かつては私の内に救いがあると、私の人生は私のものだ、と、そのように我が物顔に生きていた私たちが、今もし、己のうちの不信仰に戸惑うとするなら、それは聖霊が触れておられるからです。聖霊に委ねれば良いのです。聖霊が私たちを良きに導かないはずがありません。主を信じる決意をする者に、神は永遠のいのちを用意しておられる。これが主イエスの語るところです。

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