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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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160828 ヨハネ7:1-9 「わたしの時」

ヨハネ7:1-9 「わたしの時」

 5千人給食から半年。イエス様はガリラヤを中心に伝道活動をされていました。それはユダヤ教指導者たちがイエス様を殺そうとしていたからでありますが、このことにイエス様の弟たちは不満だったようです。
 「あなたがしているわざを見ることができるように」と言いますから、弟たちがイエス様の働きをまるで認めていないというわけではないようです。イエス様はここガリラヤで不思議なわざを数多く行い、人々の噂となっておりました。5千人給食の出来事もありました。それらを否定するつもりは弟たちにありません。兄が何か特別な存在だ。ということについては、彼らも異論はない。けれど兄の活動については、いまいち納得がいかない。そういうニュアンスが読み取れます。人々を救うために家を出ていったと言うのなら、いつまでお兄さんはこんな地方でうろうろしているのか。本気で公に出たいと思っているのなら、中央に出て行くべきだ。エルサレムで名を上げるべきだ。と、こういう弟たちの主張なわけです。そして、時は丁度、仮庵の祭りの時期。これ以上に相応しい時はないんだから、今すぐにでもエルサレムに上っていくべきだ。とこう提案しているわけです。
 仮庵の祭りとは、出エジプトの際、約束の地カナンに入ることを待ち望みつつ、仮の庵にて生活をしたことを記念する祭りのことです。またマナを食す仮庵の生活から約束の地で収穫を得るようになったことを祝う祭りでもあります。しかしこの祭りの目的はそれだけではありません。ヒントはこの祭りの最初の日に、ゼカリヤ書14章が聖書日課として朗読されるということ。そしてこれこそ、弟たちがイエス様に仮庵の祭りに上るようにと勧めた理由です。
 ゼカリヤ書14章は救い主の到来が預言された箇所です。しかし、ここで記される救い主は、攻め入る諸国を打ち倒し永遠のエルサレムを樹立する万軍の主としてのそれでした。彼らは仮庵の祭りの度に、この万軍の主を覚えて希望としたのです。ですから、弟たちは、兄イエスに対して、このゼカリヤ14章に見る万軍の主として、エルサレムに赴くべきだと言っているわけです。お兄さんが本当に救い主だと言うのなら、こんなガリラヤでちまちまやっていてはダメでしょう。都に上るべきです。そうでないなら、もう救い主だとなんか言うのはお止めなさい。と、暗に批判しているのです。
 しかし、イエス様は言います。「わたしの時は、まだ来ていません。」この言葉の意味は、むしろ私たちが知るところです。それは仮庵の祭りではなくて、過ぎ越しの祭りだということです。それはつまり、イエス様はご自身の役割を、諸外国を打ち倒し永遠のエルサレムを樹立するところの勝利の主ではなくて、神と人との和解のために命を捨てる、生贄としてのご自身の使命を見ていたということです。
 決断する時というものを私たちは探り求めます。学校を選ぶ、仕事を変える、好きな人に告白する、結婚をする。人生の大事な決断をいつすべきか、その時というものを私たちは見極めようとします。けれど私たちは、この時というものが、全て神の御手の内にあるということを知らなければなりません。わたしの時とは、言い換えれば、私に対する神のみこころの時に他なりません。ですから、神のご計画された時を掴むためには、私たちは時代を読む、状況を読むのではなくて、神のみこころをこそ探り求めなければならないのです。イエス様は人々の声に惑わされません。一貫して神のみこころに従って時を捉えておられたからです。

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