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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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160918 ヨハネ7:25-36 「お隠れになる主」

ヨハネ7:25-36 「お隠れになる主」

 2、3度しか教会に来られていない方が「もう私は聖書のことはわかりましたから」と言って来なくなることがあります。何とも悲しい話です。聖書の何をわかったのか、私にはわかりません。しかし私には、結局そういう方は、神の何もわかっていなかったということはわかります。
 エルサレムのユダヤ人たちはイエス様を捕えようとしない、生ぬるい議員たちの態度を非難します。彼らは言います。「私たちは知っている」と。「だからこの人が救世主のはずがないでしょ」と。と言いますのも、彼らにとって、救世主っていうのは、もっと謎に満ちていて、神秘的で、どこから来たかなんて誰も知らないような、そういう方なはずだと言う聖書からの理解があったからです。
 「私は知っている。」この言葉は、もうそれ以上の思考を停止させる強力な言葉です。私たちは「知っている」と思ったその瞬間から、そのものへの興味や探求心を失ってしまうのです。けれど、本当に知っているのでしょうか。それは知っているつもりなだけではないのか。上辺だけを見てはいないか。実は今日の箇所だけでなく、この7章全体が「私は知っている」という人々に対して、本当にそうなんですか。と問いただすイエス様がおられるのです。
 イエス様は言われます。「あなたがたはわたしを知っており、また、わたしがどこから来たかも知っています。しかし、わたしは自分で来たのではありません。わたしを遣わした方は真実です。あなたがたは、その方を知らないのです。わたしはその方を知っています。なぜなら、わたしはその方から出たのであり、その方がわたしを遣わしたからです。」カルヴァンは、このイエス様の言葉にはある種の怒りが込められていると言います。では、イエス様がここで怒っておられるのは何でしょう。ご自身を取り巻く状況に憤っておられるのでしょうか。そうじゃないですね。「あなたがたは、その方を知らないのです。」彼らがわたしを遣わされた方を知らない。父なる神のみこころを知らない。このことに怒りを覚えておられるのです。いったい、どれだけの覚悟で、父なる神はわたしを遣わされたのか。あなたたちの不誠実な罪を赦すために、神がどれほどの痛みを覚えて、わたしを送り出されたか。わたしが今ここにいるということに、どれほど父の愛が見られることか。あなたたちは何も知らない。知ろうとしない。だから怒っておられるのです。私たちが知らないことにではありません。知らないのに知ろうとしない、知ったかぶりをするその態度にです。
 「まだしばらくの間、わたしはあなたがたといっしょにいて、それから、わたしを遣わした方のもとに行きます。あなたがたはわたしを捜すが、見つからないでしょう。また、わたしがいる所に、あなたがたは来ることができません。」これは一義的には、イエス様の十字架と昇天を意味しています。しかし、もう一つ意味がある。それは、あなた方が今までと同様にメシヤを探しても、それでは見つからないよ。あなたたちがその「私は知っている」という神への態度を変えない限り、あなたたちの前にわたしは隠れたままである。と、こう言われているのです。
 神に対して、私は知っている。もう理解した。なんて言葉は誰も言えるはずがありません。私たちが神を知り尽くすことなどできるはずがありません。けれど、今日御言葉に聞けば、新しい神のみこころを知るということです。私たちのまだまだ知れない神のご計画が、私たちを導いております。途中で投げ出すのはもったいなすぎます。「あなたがたはわたしを捜すが、見つからないでしょう。」しかし一方で、イエス様は「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」ともおっしゃられます。もうわかった、なんてとんでもありません。主の恵みと憐みは、むしろこれからです。

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