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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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161030 ヨハネ8:21-30 「あなたがたが信じなければ」

ヨハネ8:21-30 「あなたがたが信じなければ」

 「あなたがたは自分の罪の中で死ぬ。」と、イエス様は3度、同じ言葉を語ります。なんとも無慈悲で絶望的な宣言ではないでしょうか。イエス様は人々の滅びを語ります。天の神の義しい裁きを語ります。しかし、これは私たちが聞かなくてはならない事実です。イエス様を信じるかどうかは、今の幸せをもたらすためではありません。生活の便利だとか、降りかかる災難の回避だとか、そういう類の話ではありません。それは死んで後を左右する問題です。私たちに必ず訪れる死というものが、永遠への希望となるのか、それとも永遠の絶望となるのかが問われているのです。
 ところが私たちは、どれだけそのような危機感を持って、イエス様の言葉を聞いているだろうか、と思うのです。たとえばです。よく映画などでは、タイムスリップをして、過去を変えることで、悲惨な未来を変えるという話が出てきます。愛する人が事故にあって死んでしまう。けれど何かの拍子に過去にタイムスリップをいたします。目の前には死んでしまったその人が何もなかったかのように生きている。皆さんだったらどうしますでしょうか。そのままにいれば、歴史は繰り返されるのみ。恐らくは必死になって、事情を説明して、事故が起きるはずのその現場に近付かないようにと説得するのではないでしょうか。どれほど馬鹿と思われても、信じてもらえなくても、とにかくしがみついてでも思い留まってもらうのではないでしょうか。ところがです。現実の世界では、私たちはそのような必死さをもって、主イエスを証しすることがありません。それは、イエス様の問いかけがどれほどの重みを持っているか、わかっているようでわかっていないのです。罪の悲惨さ、滅びの確かさをリアルに感じ取っていないのです。
 エゼキエル33:7-16には神の警告を悪人に語るようにと命じられています。イエス様はまさしくこの言葉通りに民に教えられます。そして、このエゼキエルの箇所には、これを命じる天の神様のみこころが語られています。「わたしは誓って言う。――神である主の御告げ。――わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ。悔い改めよ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。」ですから、イエス様が「もしあなたがたが、わたしのことを信じなければ、あなたがたは自分の罪の中で死ぬのです。」と語るとき、そこには、私はあなたがたが滅びることを喜ばない。あなたに滅んでほしくない。だから心から悔い改めなさい。・・・そういう、特別の思い入れがあるのです。
 愛する人が滅びるということをリアルに感じるなら、私たちはもっと必死になるのではないでしょうか。そうならないのは、どこかで、まだ大丈夫と考えているからでありましょう。けれど、イエス様は言われます。「わたしは去って行きます。あなたがたはわたしを捜すけれども、自分の罪の中で死にます。わたしが行く所に、あなたがたは来ることができません。」悔い改めるということは、実は時間的制限のある行為なのです。いずれ、イエス様を捜すけれど、イエス様は去って行かれるときが来る。このことは、イエス様が繰り返し語られることでありました。
 私たちは、ついつい遠慮します。こんなことを突然言っても聞いてもらえない。変に思われるかもしれない。関係が途絶えてしまうかもしれない。そう考えると、明日にしよう。また今度にしよう。いつか、相手が自分から聞いてきたらにしよう。と、こんな風に思いがちです。けれど、私たちの希望はイエス様の言葉を聞いた人々の反応です。大勢の人々が、イエス様を信じたのです。私たちは変な遠慮から、そして自信の無さから、相手は福音を望んでいないと考えがちです。けれど、そうでしょうか。死は全ての人に訪れます。誰もがその時を恐れています。その先を知らぬ者に死は圧倒的な恐怖です。ですから多くの人はこのことを考えないようにして、今だけを見て生きています。しかし、それはいつ爆発するかわからない時限爆弾を抱えて生きているようなものです。いつ訪れるかわからない死。誰もがこの不安から解放されたいと願っています。そして福音は唯一、この死の問題に解決を与えるのです。
もちろん、だからすべての人が喜んで聞いてくれる。とは言いません。パリサイ人はそのためにイエス様を殺そうとするのです。けれど、その福音を必要としている人もやはりいるのです。最初は敬遠しつつも、福音の真髄に触れるに連れ、ここに希望を見出す人がいる。他の誰でもない。私たちがそうでした。私たちもこの信仰のバトンを継いでいきましょう。

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